あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

ふるいの偉人田原惟信(たはらゆいしん) (5) 世界平和のよびかけ

田原惟信 90-235

ふるいの偉人田原惟信(たはらゆいしん)さいご5回めの記事。刑務所の教誨師(きょうかいし)に任命されて、また、沖縄仏教界の会長にえらばれて、ビルマのラングーンでおこなわれた世界仏教徒会議に出席。1976年に藍綬褒章(らんじゅほうしょう)をさずかる。

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5.世界平和のよびかけ - 郷土の先人「ひめゆりの塔」創設・田原惟信

(あんじょうホームニュース - 2012年12月8日)

アメリカ軍制下では、はじめは仏教者も神官とおなじように敬遠されておりました。そのなかで田原惟信は戦前からの実績がみとめられて、1946年6月に刑務所の教誨師(きょうかいし)に任命されました。

こころがすさんだ時代でしたから、困難なしごとでしたが、惟信はこれにうちこみ、沖縄仏教会の会長にえらばれるまでになりました。

1954年、ビルマ(現ミャンマー)政府から沖縄のアメリカ領事館へ、世界仏教徒会議に沖縄代表を派遣するように要請がありました。アメリカ民政府は仏教会の会長である惟信を推薦しました。惟信は単身ラングーンにのりこみ、総会の席上、沖縄行政主席から託されたメッセージをよみあげました。

惟信はこの体験をたいへんほこりにおもい、帰国報告をかいております。これによるとこの会議は、アジア各国から1,000人の僧が参加し、「現代は信ずるこころをうしなっとる。うしなわれた信仰の精神を回復し、世界平和のために団結しよう」とよびかけました。

この会議は1950年、セイロン(スリランカ)のコロンボで第1回会議がもたれ、惟信が出席したのは第3回にあたりました。世界仏教徒連盟の最高議決機関と位置づけられて、仏教徒の友好親善、仏教協議の普及、世界平和への貢献を目的とするものでした。

当時の関係者はこれにとどまらず、仏典(釈迦のおしえ)のみなおしをはかり、あたらしい仏教を世界にしめそうとの意気ごみがありました。そのためこの会議は「チャタ・サンゲヤナ」とよばれました。

この名称はにほんでは「結集(けつじゅう」といい、第1回結集は釈迦の入滅直后、紀元前4世紀にインド・ラージャグリハ(王舎城)でひらかれた経典の編纂会議をいいます。第2回は釈迦の死后100年にバイシャリー(毘舎離国)で、第3回は入滅后200年にパータリプトラ(現パトナ)でひらかれました。

これをうけつぐものとのかんがえがあり、当時沖縄ではこのとしの会議を「チャタ・サンゲヤナ第6回仏教大会」と発表しております。

惟信は帰国報告のなかで、ラングーンでは経典を再検討する500人の僧侶が生活する寄宿舎を建設中であること、経典印刷用の装置がアメリカ合衆国から贈呈されたことをのべております。

惟信の平和運動はそのあともつづきました。1976年には藍綬褒章(らんじゅほうしょう)がさずけられ、2008年8月に永眠しました。

あんじょうホームニュース - 田原惟信 (5) 世界平和 1160-1530

文:天野暢保(のぶやす)〔歴史博物館のもと館長で、三河の歴史や考古学の第一人者〕

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(さんこう)