あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

9人

ついにひとけただ。

2020.9.22 「9人」 634-189

きょう2020年9月22日の愛知県のしんがたコロナウイルス新規感染者は9人。どうかこのまま収束してくれ。

  • 【速報】70日ぶりに新規感染者ひとけた - 2020年9月22日は愛知で9人にしんがたコロナ陽性判明、うち名古屋は3人|東海テレビニュース|2020年09月22日16:48
    • 愛知県は2020年9月22日、新たに9人に新型コロナウイルスの感染が確認されたことを発表しました。このうち名古屋の感染者は3人です。
    • 愛知県の新規感染者が1桁となるのは2020年7月14日以来、70日ぶりです。

知立の花扇でひるごはん - 2020年9月じゅうよっか

2020.9.14 (2) 花扇 - てんぷら御膳 1200-900

2020年9月じゅうよっか、知立(ちりゅう)のにほん料理花扇(かせん)でひるごはん。花扇は、知立宿の時代からつづく料亭岐阜屋のあじをたのしむことのできるみせ。ばしょは、料亭岐阜屋が東海道にみなみに面してあって、花扇はほのうらがわにあって、きたがわにまわりこんでいくかたちになる。たのんだのはてんぷら御膳で、食后のデザートとコーヒーつき。ふるい料亭のふんいきもあじわいながら、ゆったりとひとときをすごす。


(さんこう)

  • 知立宿をいく - 2019年11月13日 - あきひこゆめてつどう|2019/11/25
    • 東海道にもどって、また、にしにすすみかけたとこで、みぎに料亭岐阜屋。門と塀があるだけど、ほのたたずまいのしぶいこと。門も塀もかわらやねがついとって、門の部分だけたかくなっとる。門と塀のうえをまつのえだがおおっとる。塀は、こしからしたがくろいいたでおおってあって、うえのほうは、しろぬりの土蔵かべに連続してしかくいあながあいとって、それぞれにくろいかざりいたがはめこんである。門のすぐなかにクルマがなんだいかとまっとって、ほのおくに土蔵風のたてもん。BMW もとまっとる。もどって、くだりざかをおりてきたがわにまわって、日本料理花扇のとこから岐阜屋をみてみると、斜面にふるいたてもんがいっぱいたっとるのがわかる。またまた東海道にもどったとこで、みせから BMW がでていくのをかくにん。

とんかつ浜名でひるごはん - 2020年9月ここのか

2020.9.9 (1) とんかつ浜名美合店 - みそかつ定食 1200-900

2020年9月ここのか、とんかつ浜名美合店でひるごはん。ばしょは、国道1号線美合町交差点をきたにはいったすぐひだりがわ。たのんだのはみそかつ定食。ごちそうさまでした。

2020.9.9 (2) 美合にしふみきり - 一宮いき急行 1580-1060

名古屋本線美合駅にしふみきりをみなみにわたって、うちにもどる。


田原惟信の功績をたたえるうたをコールアーバーがうたう

おてらのおくさんらでつくる合唱団があるだげな。ほいで、ことしで結成15周年をむかえるってことで、記念のうたをつくっただげな。ほれが田原惟信(たはらゆいしん)の功績をたたえる『流転のしま』っていううた。田原惟信は、わがふるいは願力寺(がんりきじ)にうまれそだって、沖縄の真教寺(しんきょうじ)3代住職になって、沖縄戦でいのちをうしなったひとたちの遺骨収集をして、ひめゆりの塔をたてて、沖縄仏教会の会長をつとめたひと。うたの作詞は真教寺5代住職の田原大興(たはらたいこう)さんで、作曲は清沢久恵さん。

合唱団のなまえはコールアーバー。うたのおひろめはらいねん2021年6月25日。ききにいきたいな。

◇            ◇

戦没者慰霊に尽力 - あんじょう出身・田原惟信さんの功績たたえるうた完成

中日新聞(鎌田旭昇さん) - 2020年8月4日〕

真宗大谷派岡崎教区(岡崎市梅園町)の合唱団「コールアーバー」が2020年10月、設立15年を迎える。記念曲として、太平洋戦争末期の沖縄戦で命を落とした女子生徒を慰霊する「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)を建立したことで知られる安城市古井町出身の田原惟信(たはらゆいしん)さん(1909〜2007年)の功績をたたえる歌を作った。団員らは来年2021年6月の披露会に向け、練習を続けとる。

田原さんは戦時中、真宗大谷派の真教寺(那覇市)の住職を務めとった。戦没者の遺骨収集に尽力し、いずれも糸満市にある慰霊塔「魂魄の塔(こんぱくのとう)」や「沖縄師範健児の塔」の建立にも携わったとされる。

合唱団には、三河地方にある寺の住職の妻や、信者ら40〜70代の女性25人が加入しとる。作詞は現在の真教寺住職を務める田原大興(たはらたいこう)さんに頼み、作曲は真宗大谷派で多くの曲を手掛ける作曲家の清沢久恵さん(41)=刈谷市一ツ木町=が担った。昨年2019年9月から取り組み始め、今年2020年4月に完成した。

曲の題名は「流転の島」。田原惟信さんの生涯と沖縄の歴史を重ね合わせた。長さはおよそ7分間。清沢さんは「詩が大事な曲。伝わりやすいように、言葉のイントネーション(抑揚)と音階を合わせた」と話す。

2020.8.3 コールアーバー - 流転のうた練習ふうけい(ちゅうにち) 640-430
△ 「流転のしま」をひく清沢久恵さんと、練習するコールアーバーの団員

岡崎教務所では2020年8月3日、団員らおよそ20人が集まる練習があった。「透き通った声で歌って」、「母音をしっかり発音して」と、指揮者の女性からげきが飛んだ。フェースシールドやマスクを着けて練習した。

合唱団の野々村真知子団長は「三河出身の田原さんが流転の人生の歩んでいたことを、多くの人に知ってもらえるように歌いたい」と意気込んでいる。披露会は来年2021年6月25日の予定。
(問)岡崎教務所=0564(22)2136

◇            ◇

(さんこう)

ふるいの偉人田原惟信(たはらゆいしん) (5) 世界平和のよびかけ

田原惟信 90-235

ふるいの偉人田原惟信(たはらゆいしん)さいご5回めの記事。刑務所の教誨師(きょうかいし)に任命されて、また、沖縄仏教界の会長にえらばれて、ビルマのラングーンでおこなわれた世界仏教徒会議に出席。1976年に藍綬褒章(らんじゅほうしょう)をさずかる。

◇            ◇

5.世界平和のよびかけ - 郷土の先人「ひめゆりの塔」創設・田原惟信

(あんじょうホームニュース - 2012年12月8日)

アメリカ軍制下では、はじめは仏教者も神官とおなじように敬遠されておりました。そのなかで田原惟信は戦前からの実績がみとめられて、1946年6月に刑務所の教誨師(きょうかいし)に任命されました。

こころがすさんだ時代でしたから、困難なしごとでしたが、惟信はこれにうちこみ、沖縄仏教会の会長にえらばれるまでになりました。

1954年、ビルマ(現ミャンマー)政府から沖縄のアメリカ領事館へ、世界仏教徒会議に沖縄代表を派遣するように要請がありました。アメリカ民政府は仏教会の会長である惟信を推薦しました。惟信は単身ラングーンにのりこみ、総会の席上、沖縄行政主席から託されたメッセージをよみあげました。

惟信はこの体験をたいへんほこりにおもい、帰国報告をかいております。これによるとこの会議は、アジア各国から1,000人の僧が参加し、「現代は信ずるこころをうしなっとる。うしなわれた信仰の精神を回復し、世界平和のために団結しよう」とよびかけました。

この会議は1950年、セイロン(スリランカ)のコロンボで第1回会議がもたれ、惟信が出席したのは第3回にあたりました。世界仏教徒連盟の最高議決機関と位置づけられて、仏教徒の友好親善、仏教協議の普及、世界平和への貢献を目的とするものでした。

当時の関係者はこれにとどまらず、仏典(釈迦のおしえ)のみなおしをはかり、あたらしい仏教を世界にしめそうとの意気ごみがありました。そのためこの会議は「チャタ・サンゲヤナ」とよばれました。

この名称はにほんでは「結集(けつじゅう」といい、第1回結集は釈迦の入滅直后、紀元前4世紀にインド・ラージャグリハ(王舎城)でひらかれた経典の編纂会議をいいます。第2回は釈迦の死后100年にバイシャリー(毘舎離国)で、第3回は入滅后200年にパータリプトラ(現パトナ)でひらかれました。

これをうけつぐものとのかんがえがあり、当時沖縄ではこのとしの会議を「チャタ・サンゲヤナ第6回仏教大会」と発表しております。

惟信は帰国報告のなかで、ラングーンでは経典を再検討する500人の僧侶が生活する寄宿舎を建設中であること、経典印刷用の装置がアメリカ合衆国から贈呈されたことをのべております。

惟信の平和運動はそのあともつづきました。1976年には藍綬褒章(らんじゅほうしょう)がさずけられ、2008年8月に永眠しました。

あんじょうホームニュース - 田原惟信 (5) 世界平和 1160-1530

文:天野暢保(のぶやす)〔歴史博物館のもと館長で、三河の歴史や考古学の第一人者〕

◇            ◇

(さんこう)

ふるいの偉人田原惟信(たはらゆいしん) (4) 平和の梵鐘

万国津梁のかね 250-315

ふるいの偉人田原惟信(たはらゆいしん)4回めの記事。こんかいは田原惟信のてら、真教寺(しんきょうじ)にあった「万国津梁のかね(ばんこくしんりょうのかね)」のはなし。沖縄が世界平和のかけはしとなることをねがうかねで、沖縄サミットの主会場も「万国津梁館」ってよばれることになった。

◇            ◇

4.平和の梵鐘 - 郷土の先人「ひめゆりの塔」創設・田原惟信

(あんじょうホームニュース - 2012年11月24日)

田原惟信のてら、真教寺で、明治、大正のころつかっとった梵鐘に興味ぶかい漢詩がきざまれております。漢詩の概要はおよそつぎのとおりです。

琉球国は南海のすぐれた土地で、「三韓(韓国)」「大明(中国)」「日域(日本)」の中間にある「蓬莱のしま(ほうらいのしま)」である。舟楫(ふなかじ)(ふねの往来)をもってすれば、琉球は「万国の津梁(しんりょう)」となり、めずらしい産物やたからと「仁風(じんぷう)(哲学)」の交流に貢献するであろう。

琉球(沖縄)をたたえる詩です。

「津梁」とは「津」はみなと、「梁」は建築のはりですが、ここでは「かけはし」のことで、沖縄は東アジアの各地をむすぶ「みなととかけはし」の地となるべき、国際的な位置に存在する、とうたっとるのです。おもえば、今日でもおなじことがいえるとおもわれます。

この銘文から「万国津梁のかね」のながうまれ、いま、また、注目されております。

このかねは1458年に明で鋳造され、首里城の正殿まえにあったものですが、同城がにほんの政府にあけわたされてから、経緯があって真教寺にうつされ、首里城が国宝の指定をうける大正年間に、沖縄県にゆずりわたされ、現在は県立博物館に展示されております。首里城では供屋(ともや)に複製がおかれ、かねのねをひびかせることもできます。

名護市の部瀬名岬(ぶせなみさき)ににほんはつのリゾート(保養地)がたの国際会議や見本市の開催できるコンベンション施設が完成すると、ここが「万国津梁館」のなでよばれることになりました。この会場は2000年7月開催の九州・沖縄サミット(第26回主要国首脳会議)の主会場として建設されたもので、一部に県がたてたぜいたくな「はこもの」との批判もありますが、沖縄らしさをふんだんにもりこんで新設されたもので、建設の意図どおりに平和的な国際交流促進にいかされる時代がくれば、沖縄が平和のシンボルのしまになるのでしょう。田原惟信の姿勢につながる問題として注目されます。

あんじょうホームニュース - 田原惟信 (4) 平和の梵鐘 1290-1500

文:天野暢保(のぶやす)〔歴史博物館のもと館長で、三河の歴史や考古学の第一人者〕

◇            ◇

(さんこう)

ふるいの偉人田原惟信(たはらゆいしん) (3) 惟信の揮毫

ひめゆりの塔 420-420

ふるいの偉人田原惟信(たはらゆいしん)3回めの記事。あの有名な「ひめゆりの塔」をつくる。「魂魄の塔(こんぱくのとう)」につづくふたつめの慰霊塔。2本あるいしぶみのうち、短歌のほうのいしぶみは田原惟信が揮毫(きごう)*1

◇            ◇

3.惟信の揮毫 - 郷土の先人「ひめゆりの塔」創設・田原惟信

(あんじょうホームニュース - 2012年11月10日)

田原惟信(たはらゆいしん)とともに遺骨収集活動の先頭にたった村長金城和信(きんじょうわしん)は、いわゆる「ひめゆり学徒」の壕でふたりのまなむすめ、信子19才と貞子16才をうしなっております。

沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒と職員240人が沖縄陸軍病院南風原はえばる)分院へ看護要員としてやられたのは、1945年3月にじゅうよっかです。分院といってもよこあなの壕でした。

そこにはいま「重症患者二千余名自決之地」という石碑もあり、重症の兵士などに青酸カリがくばられたとしられる地のひとつでもあります。1945年4月末にはやまのかたちがかわるほどの砲火をあびせられ、5月末には陸軍病院としての機能はうしなわれ、戦局が絶望的になると6月18日に、学徒隊は解散を命じられております。学徒たちは自分の判断で壕からでて砲火をあびてちるひともあれば、壕にとどまって、手榴弾(しゅりゅうだん)をなげこまれていのちつきたひともありました。

惟信らは「女子学生集団自決のはなし」「そのうちいきのこった女学生が病院ではたらいとる」などの情報をてがかりにふたりがすごしたはずの「壕」をみつけました。そこへ最初にふみこんだのは金城村長と文子夫人と真言宗の僧と惟信の4人でした。「なわばしごに、ぶらさがったまま、ふたりの軍人がこときれとる。女学生の死体のやま」としるしております。

ここにつかをつくり石碑をたてたのは1946年4月でした。たかさ1メートルばかりの2本の石碑です。ひめゆり之塔」の文字は金城の書です。短歌をかいた石碑は惟信の揮毫です。

惟信はえごころのあるひとだったので、バランスのいい文字になっております。短歌の作者はいっしょに活動した仲宗根政善。短歌は「いわまくら かたくもあらなん やすらかに ねむれとぞいのる まなびのともは」となっております。

いまはひめゆり資料館まえにおおきなよこながの石碑にむかってみぎがわにひっそりたつ2本です。

あんじょうしの古井町歴史研究会の一行は、女性の提案ではなをふたたばおそなえしました。一行のひとりは、ねむっとる女子学生たちが、戦争のない世界をきずこうとするひとびとを応援してくれるよう合掌した、とのことでした。

あんじょうホームニュース - 田原惟信 (3) 惟信の揮毫 1140-1630

文:天野暢保(のぶやす)〔歴史博物館のもと館長で、三河の歴史や考古学の第一人者〕

◇            ◇

(さんこう)

*1:「揮」はふるう、「毫」はふでの意味。毛筆で文字やえをかくこと。とくに、知名人がたのまれて書をかくこと。「色紙に揮毫する」(goo国語辞書)