ふるいの偉人田原惟信(たはらゆいしん)4回めの記事。こんかいは田原惟信のてら、真教寺(しんきょうじ)にあった「万国津梁のかね(ばんこくしんりょうのかね)」のはなし。沖縄が世界平和のかけはしとなることをねがうかねで、沖縄サミットの主会場も「万国津梁館」ってよばれることになった。
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(あんじょうホームニュース - 2012年11月24日) 田原惟信のてら、真教寺で、明治、大正のころつかっとった梵鐘に興味ぶかい漢詩がきざまれております。漢詩の概要はおよそつぎのとおりです。 琉球国は南海のすぐれた土地で、「三韓(韓国)」「大明(中国)」「日域(日本)」の中間にある「蓬莱のしま(ほうらいのしま)」である。舟楫(ふなかじ)(ふねの往来)をもってすれば、琉球は「万国の津梁(しんりょう)」となり、めずらしい産物やたからと「仁風(じんぷう)(哲学)」の交流に貢献するであろう。 琉球(沖縄)をたたえる詩です。 「津梁」とは「津」はみなと、「梁」は建築のはりですが、ここでは「かけはし」のことで、沖縄は東アジアの各地をむすぶ「みなととかけはし」の地となるべき、国際的な位置に存在する、とうたっとるのです。おもえば、今日でもおなじことがいえるとおもわれます。 この銘文から「万国津梁のかね」のながうまれ、いま、また、注目されております。 このかねは1458年に明で鋳造され、首里城の正殿まえにあったものですが、同城がにほんの政府にあけわたされてから、経緯があって真教寺にうつされ、首里城が国宝の指定をうける大正年間に、沖縄県にゆずりわたされ、現在は県立博物館に展示されております。首里城では供屋(ともや)に複製がおかれ、かねのねをひびかせることもできます。 名護市の部瀬名岬(ぶせなみさき)ににほんはつのリゾート(保養地)がたの国際会議や見本市の開催できるコンベンション施設が完成すると、ここが「万国津梁館」のなでよばれることになりました。この会場は2000年7月開催の九州・沖縄サミット(第26回主要国首脳会議)の主会場として建設されたもので、一部に県がたてたぜいたくな「はこもの」との批判もありますが、沖縄らしさをふんだんにもりこんで新設されたもので、建設の意図どおりに平和的な国際交流促進にいかされる時代がくれば、沖縄が平和のシンボルのしまになるのでしょう。田原惟信の姿勢につながる問題として注目されます。 文:天野暢保(のぶやす)〔歴史博物館のもと館長で、三河の歴史や考古学の第一人者〕 |
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(さんこう)