あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

清沢満之展みてきた

碧南市藤井達吉現代美術館に清沢満之展みてきた。

2023.7.27 (1) 清沢満之展 - 清沢満之肖像画 960-1620

中村不折(なかむらふせつ)のかいた肖像画

清沢満之がうまれたのは1863年。まんだ江戸時代だ。なくなったのは1903年。たった40年の人生だっただ。

うまれたばしょは名古屋。尾張藩士徳永家の長男としてうまれとる。碧南西方寺の住職ってしっとっただけど、そもそもは名古屋の武士だっただ。

名古屋時代。8才で黒門町私塾に入学。10才で情妙寺の愛知県第5仮義校に入学。12才で愛知外国語大学に入学。坪内逍遥(つぼうちしょうよう)もおったっていう。神童だったとのこと。

京都時代。16才で東本願寺僧侶となって育英教校に入学。

東京時代。1881年東大予備門に入学。東大文学部哲学科にすすむ。フェノロサの講義をうけてとりわけヘーゲルの講義に感激。主席となる。大学院にすすんで宗教哲学を専攻。東大では特待生だったとのこと。このときはまんだ徳永満之。

法科、文科、理科大学特待学生姓名届出之件
  • 文科大学特待学生
2023.7.27 (3) 清沢満之展 - 特待生名簿 1000-1700
1886年7月15日
紙本墨書・簿冊|東京大学文書館提供
満之を特待学生とした大学内での書類。当時の帝国大学では、「学術優等品行方正ナル学生」を特待学生に選び、授業料免除としとった。岡田良平は后に京都帝国大学総長、文部大臣を務め、下山寛一郎は教育者となり、大西祝(はじめ)は哲学を研究し東京専門学校(現・早稲田大学)で教鞭をとった。

東大の先輩に井上円了(いのうええんりょう)。東洋大の前身哲学館をつくったひとだけど、つくるにあたって専任教員を自身と徳永満之のふたりとした。

1888年碧南西方寺の長女やすと結婚。ここではじめて清沢満之になるだ。出産で帰省中のやすにあてたてがみがある。ぞんがいやさしいひとだっただ。

清沢やす宛徳永満之書簡
清沢やす宛徳永満之書簡1通
徳永満之筆|1889年7月22日付け|紙本朱書・継紙|西方寺蔵
東京滞在中の満之から西方寺に帰省中の妻やすに宛てた書簡。前半では東京の知己を訪ねたこと、后半には身重の妻の心身を気遣う言葉が綴られる。満之と友人たちの交流、妻への優しい眼差しが伝わる書簡である。
2023.7.27 (4) 清沢満之展 - つまやすへのてがみ 1940-1280

京都にかえる。1888年26才のとき東本願寺の要請で京都にかえる。京都府尋常中学校の校長になってハイカラ生活をおくる。

禁欲生活。とつぜんハイカラ生活をやめて生活を一変。行者のようなきびしい禁欲生活をおくる。1894年結核にかかって1895年まで垂水で静養。このときに代表作である『宗教哲学骸骨』をかく。

宗門改革運動。1896年から宗門改革運動をはじめる。ミニマムポッシブル、可能なかぎりの最低がいいっていう。阿含経、エピクテタス語録、歎異抄をもって清沢満之の3部経とする。

京都にあった真宗大学が東京巣鴨に移転。

浩々洞(こうこうどう)をひらく。1899年9月東京近角常観留守宅で私塾浩々洞をひらく。1900年から暁烏敏(あけがらすはや)、佐々木月樵(ささきげっしょう)、多田鼎(ただかなえ)と共同生活。1901年仏教雑誌『精神界』を発刊。1919年までつき1回発刊。

関連人物相関図
清沢満之(1863-1903)
浩々洞 創設メンバー(三羽烏
暁烏敏(1877-1954)
・佐々木月樵(1875-1926)
・多田鼎(1875-1937)
清沢満之に師事
興隆期メンバー
・近藤純悟(1875-1967)
・安藤州一(1873-1950)
退潮期メンバー
・曽我量深(1875-1971)
・金子大栄(1881-1976)
東京大学哲学科 井上円了(1858-1919)
沢柳政太郎(1865-1927)
・近角常観(1870-1941)
 
清沢満之と同窓
近角常観が清沢満之に上京を要請
教界時言社
(白川党)
稲葉昌丸(1865-1944)
・今川覚神(1860-1936)
・月見覚了(1864-1923)
・清川円誠(1863-1947)
・井上豊忠(1863-1923)
清沢満之の盟友
東本願寺為政者 ・大谷光演(1875-1943)
・石川舜台(1842-1931)
清沢満之に上京を要請
↕ ライバル
・渥美契縁(1840-1906) 清沢満之と対立
2023.7.27 (2) 清沢満之展 - 関連人物相関図 1650-1200

西方寺にかえる。長男信一とつまやすをなくして、1902年西方寺にかえる。1903年6月むいかなくなる。

〔2023年7月27日訪問〕


【流転のしま】
【本証寺布教大会にいってきた】
【田原惟信の功績をたたえるうたをコールアーバーがうたう】
【西方寺の太鼓堂】
【佐々木月樵(ささきげっしょう) - 古井の偉人】