2019年4月29日、西尾の岩瀬文庫(いわせぶんこ)に御即位慶賀展(ごそくいけいがてん)をみてきた。2019年5月ついたちにあたらしい天皇が即位されることをおいわいしての企画展だけど、学芸員の展示解説つきっていうとこにひかれてもうしこんだもんだ。参加料ひとり500円。
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三州八郡地理之図(懐玉三河州地理図鑑)
10時30分からの展示解説にさきだって2階の展示室にはいったとこで、たなにかさねてあった地図のひとつをつくえのうえにひろげてみる。展示品はぜんぶこの岩瀬文庫の蔵書になるだけど、これは1741年につくられた三州八郡地理之図っていう地図で、西尾やわがあんじょうをふくむ三河全域がのっとる。おおきいな。ほいで、あつがみの表紙のしたにおりたたむとこぢんまりとまとまって、とりあつかいやすくなる。
名古屋で三河万才
時間がきて、1階の集合ばしょに集合。あつまったのは筆者とつまをふくめて5人。こっから学芸員さんの解説をききながら展示品をみていく。
あらためて2階の展示室への階段をあがっていく。あがりきってすぐ、ひだりのはしらに「名古屋で三河万才」のえがある。三河万才はわがあんじょうのほこる民俗芸能なだけど、往時名古屋まででむいてこんなふうにしていえいえをまわっとったってことがわかる。貴重な資料だ。
百万塔
770年、にほん最古の印刷物である「陀羅尼経(だらにきょう)」をおさめて、称徳天皇(しょうとくてんのう)が法隆寺など十大寺に奉納した百万塔です。
1908年に法隆寺からゆずりうけました。
【百万塔説明がき】
おくにすすんで、百万塔。なにげないおもちゃみたいなもんだけど、こんなかに印刷されたお経がはいっとるっていうでおどろきだ。しかも770年っていうむかしにだ。ニュージーランドからの見学者は、「1770年のまちがいじゃないか」っていったとのこと。
百万塔のなかにいれるお経も展示されとる。なかにいれるのは4種類あるうちのどれかだけど、いちばんみじかいやつは学芸員さんもみたことがないとのこと。
印刷、出版の歴史
壁面掲示で印刷、出版の歴史が解説してある。いまみた百万塔のなかのお経は木版印刷によるもんだけど、現存する世界最古級の印刷物だった。ほー。
木版印刷じゃなくて活字による活版印刷も江戸初期におこなわれたけど、活字がきの活字だったためにまもなくすたれたとのこと。たてがき特有のつづけがきにふむきなことも理由だったとのこと。
御即位慶賀展
さらにおくの企画展示室にはいったとこから御即位慶賀展(ごそくいけいがてん)。開催は2019年4月はつかから2019年6月30日まで。
后奈良天皇宸翰般若心経
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后奈良天皇宸翰般若心経
后奈良天皇筆/室町時代后期
こんいろのかみに金泥でかかれた般若心経の末尾に「参河国」ってしるされております。
戦国時代、あいつぐ天災や戦乱により凶作や飢饉があり、疫病の流行で民衆がおおいにくるしみました。とくに1540年には「天文の飢饉」がおこり、全国各地でおおくのひとがなくなりました。ほこで、后奈良天皇はみずから般若心経を書写、諸国の神社や寺院へ奉納することを発願。諸国奉納にさきだって、醍醐寺に供養させた般若心経のおくがきに「いま、天下に疫病が流行し、万民が死に瀕しておる。わたしは人民の父母として、徳をいきわたらせることができず、たいへんこころをいためておる。ひそかに般若心経を金字で書写し、供養させる。なんとかこれがやまいの妙薬となることをねがっておる」ってみこころがしるされております。翌年、参河国もふくめた66か国へ奉納しました。
【后奈良天皇宸翰般若心経説明がき】
后奈良天皇宸翰般若心経(ごならてんのうしんかんはんにゃぎょう)。じつにていねいにきれいな文字でかいてある。室町時代后期、疫病にくるしみひとびとをすくわあっておもって、天皇みずからが写経して全国の社寺に奉納しただ。こころをこめてかかれたことがようわかる。
ほれから、学芸員さんの自慢として、あたらしい天皇が皇太子時代の2016年にここ岩瀬文庫を訪問されて、この后奈良天皇宸翰般若心経を熱心にみていかれたっていう説明をうける。きさくでユーモアのあるかただったとも。ちなみに、このとき岩瀬文庫とあわせて、わがあんじょうの水のかんきょう学習館とあんじょうし歴史博物館も訪問されとる。
万葉集
いま話題の万葉集。
しっかり「令」と「和」のとこにしるしがしてある。万葉集のなかの「梅花(ばいか)のうた32種ならびに序」ってとこだけど、よこに現代語訳もついとる。ところで筆者が「万葉集ってかなでかかれたもんだっておもっとったけど、ぜんぶ漢字じゃないか」っていう質問をしたところ、学芸員さんが「漢字ではあるけど、漢字の意味はつかわんで漢字の音(おん)だけをつかって、にほんごを表記してある」って説明してくれる。なるほど、ようみてみるとほうなっとる。漢文じゃなかっただ。
新元号についての説明がきもある。「ときに初春の令月(れいげつ)にして、気よくかぜやわらぐ(和らぐ)」っていううたのなかから「令」と「和」の2文字をとって、令和っていう新元号にしたとのこと。また、この万葉集自体の説明がきもあって、1596年から1615年の慶長年間ごろの古活字版であるとのこと。
高御座
高御座(たかみくら)。この2019年10月のあたらしい天皇の即位式でもつかわれるもんで、筆者も以前に平城宮の大極殿(だいごくでん)で実物をみてきただけど、じつは岩瀬文庫にあるこの書物にえがかれとる高御座をみて、いまのの高御座がつくられたっていう。いや、ほれぐらいに信ぴょう性のたかい書物が岩瀬文庫には収蔵されとるだ。書物のなまえは「御即位調度文安図」で、1444年につくられたもんを1772年にかきうつしたもん。
黄櫨染御袍
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)。天皇陛下ひとりが着用することをゆるされた装束だ。ここを見学したつぎのひ、きのう2019年4月30日、平成の天皇の「退位礼正殿の儀(たいいれいせいでんのぎ)」でも、このなかのいちばんみぎのやつをじっさいにおめしになっとって、おおーっ!っておもったよ。
黄丹染御袍
黄丹染御袍(おうにぜんのごほう)。これは皇太子だけがゆるされる装束だ。ことし2019年10月22日の「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」のときにみれるにちがいない。
ひこほほでみのみこと
ひこほほでみのみこと。漢字でかくと彦火々出見尊。これは日本書紀でのいいかたで、古事記では火折尊(ほおりのみこと)っていっとる。初代天皇である神武天皇の祖父にあたるひとだけど、別名の山幸彦(やまさちひこ)としてひろくしられとるひとだ。
このひこほほでみのみことがのっとるのが、室町時代后期のうつしである「かみ代物語(かみよものがたり)」。
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いや~、あっというまの見学だった。学芸員さんの説明のじょうずだったこと。みぶりてぶりも豊富で、じつにわかりやすくたのしかったよ。このひの学芸員さんは課長補佐の林知佐子さん。みなさんにもぜひいってもらいたいな。ほれと、感心するのはこれらの資料がぜんぶインターネットで検索できるようになっとることだ。ふるびた資料が書庫のなかでねむとっとるだけじゃない。ちゃんと活用される状態にある。この岩瀬文庫に1点しかない資料もおおいっていう。閲覧も積極的によびかけとる。現に資料をみにくるひとが全国からあるっていう。いや、海外からもあるっていう。すごいな。
1階におりて、みやげになんまいかのはなのえをもらって、学芸員さんにおれいをいったあと、喫茶室で抹茶とらくがんをいただく。
そとにでて旧書庫をみて岩瀬文庫をあとにする。資材を投じてこの岩瀬文庫をつくった岩瀬弥助、すごい。
(さんこう)
- 三州八郡地理之図 - あきひこゆめてつどう|2019/05/01
- いやほれにしても、蔵書がインターネット検索できるようになっとるのはいいな。
- 平成だ令和だってはしゃぎすぎ - あきひこのいいたいほうだい|2019/04/30
- 岩瀬文庫の企画展…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年4月29日23:42
- 2019.4.29 (35) おお池 - とんかつ定食
- 西尾の抹茶ポスター - あきひこのいいたいほうだい|2019/04/26
- きょうてにしたちらしで、西尾の抹茶が地理的表示産品だってことをしった。2017年3月みっかに登録されとるだ。
- 元号やめろよ - あきひこのいいたいほうだい|2019/03/25
- 新元号にむけてシステムの改修作業をやっとるってテレビでつたえとる。ばかなことだ。西暦に一本化せやあ不要なことを。社会全体としてじつにむだな労力だ。
- せんとくん、いって きた! みて きた、大極殿! (あんみつ) - あきひこのいいたいほうだい|2015/07/18
- 西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース
- 今川氏発祥の地をみてきた - 2019年4月29日 - あきひこのいいたいほうだい|2019/07/23 〔ついか〕