あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

古井町史 へんさんの ため、先人を おって 沖縄え

町史 へんさんを めざす 古井町歴史研究会 (ふるいちょう れきし けんきゅうかい)の 一行が、きょねん 沖縄を たずねた。古井 出身で、沖縄に わたって、あの 有名な 「しろい けむりと くろい けむり」を かいた 稲垣国三郎 (いながき くにさぶろう)さんの あとを おっての ことだ。琉球新報にも 紹介された。 

愛知県の 古井町歴史研究会 名護で 足跡 たどる
郷里の 先人へ おもい
「しろい けむりと くろい けむり」の 稲垣国三郎氏
琉球新報 2012年 4月 26日
古井町歴史研究会 一行 (2012.4.20 名護城で)

沖縄師範学校 教諭 兼 付属小学校 主事を つとめた 故 稲垣国三郎氏 (1886~1967)の 出身地 愛知県 安城市の 古井町歴史研究会 (杉浦正之 (すぎうら まさゆき) 会長)は 2012年 4月 はつか、町史 へんさんに やくだてえと、稲垣国三郎氏が つづった 「しろい けむりと くろい けむり」の いしぶみが たつ 名護市の 名護城 (なんぐすく)を たずねた。安城市文化財保護委員会の 天野暢保 (あまの のぶやす) 委員長 75才は 「名護で うまれた おやこの 情を えがいた はなしを かたりついで いきたい」と 感慨 ぶかげに かたった。

稲垣国三郎氏は 1917年から 9年間、師範学校 教諭と して 沖縄に 赴任。1918年 3月 末、名護城を 散策しとった 稲垣国三郎氏は ちかくの こだかい おかから たちのぼる 白煙を みつけた。白煙は、でかせぎで 那覇から 大阪へ いく むすめが のった 黒煙を あげる 汽船に むけて、老夫婦が まつばを もやした めじるしだった。ほの せつない おやこの 情を こばなしに しるした。

一行は 名護博物館の 島福善弘 館長らの 案内で 「しろい けむりと くろい けむり」の いしぶみを おとずれ、いしぶみ 建立 (こんりゅう)までの 経緯などの 説明を うけた。会員の 石原国基さん 71才は いしぶみの 眼下に ひろがる 名護の まちなみを まえに 「国三郎さんが 文を かかあと おもった あたたかみを かんじる ことが できた」って はなした。

古井町歴史研究会の 記事 (琉球新報 2012.4.26)

古井町史の 完成が まちどおしい。 


(さんこう)