あんじょうから小川橋をわたって矢作川をこえて、ほのままたんぼんなかを東南方向にすすんだみぎがわに浅井(あざい)っていうとこがある。まっとまっすぐいくと、中島のまちをぬけて、中島橋をわたって広田川をこえて、おかをあがってデンソー西尾製作所へとつながる。
あんじょうから中島橋をわたるまでは、ずーっと田園風景がひろがる。おたうえまつりで有名な六ツ美の悠紀斎田(ゆきさいでん)も中島にある。矢作川の右岸も左岸もこんなにまったいらな地形なのに、どういうわけか浅井にはやまがある。浅井のむら自体は平地にあるだけど、むらにとなりあわせてやまがあるだ。いったいほこになにがあるのか。いっかいいってみたかったこのやまに、ついにいく機会をえた。中島橋東南にある我流っていう讃岐うどんのみせでカルボナーラ雑炊にしたつづみをうったあと、浅井のやまによった。
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やまはいくつかある。見当をつけてあがったやまの頂上付近にこんなおみやさんがある。
ほのままやまのうえのほうをてきとうにあるいて、みちがえだわかれするとこにほこらがある。やまのうえのほうっていっても、ふつうに民家があったりこうばがあったりする。
べつの方角にいくと、民家のやねごしにとなりのやまの中腹にあるはたけがみえる。NHKラジオ『ひるのいこい』の世界だ。
また方角をかえてやまをおりかけたとこに、がらんとした家屋がある。小川橋から中島橋にむかう県道をクルマではしるとちゅうにみた廃屋か。いや、廃屋っちゅうほどにはいたんどらんくて、ひょっとしたらこれからすむひとがかわるとこか。
いったんたににおりて、またべつのやまにのぼっていく。
うえのほうはまた地形がたいらかになって、みちのりょうがわにははたけもひろがる。はたけごしにみなみをのぞむ。むかしながらの農村風景だけじゃなくて、マンションやらおおきなたてもんやらもみえて、だいぶまちになっとる。
きたをのぞむと、もりのむこうははなる大河矢作川のながれがみえる。
ゆるくさかをあがって、やまのいちばんたかいとこまでいったとこで、いしぶみがある。1973年はるに西浅井老人会がご神木をうえたってかいてある。さいしょのやまにもおみやさんがあったけど、やっぱりやまにはかみさまがやどるのか。
こっからまた、きたをのぞむ。平野にひろがるのは六ツ美のむらむらか。
きりとおしをとおって、やまをくだる。
ちゃばたけがあらわれ、ふもとのむらもまぢかだ。
さいしょのやまにもどって、クルマをおいてきた喫茶店をさがす。てきとうにやまをあがって、はてこっからどっちの方向だったかな~ってなやんだとこが、ほの喫茶店だった。なかでまつつまをそとによびだし、あんじょうのわがやへとかえった。
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いや、ふしぎなばしょだった。おみやさんやご神木があるのはわかる。こうばがいくつかあるのも、固定資産税のやすい土地をもとめてのことと理解できる。でも、こんなに民家がぱらぱらとあるのは予想しとらんかった。ふるいうちもあたらしいうちもある。集落は平地にあり、やまはひとがすんどらんっておもっとった。平家の落人部落としてひとがすむようになったのか。いやいや、こんなにひくいやまじゃ、すぐに源氏の武者に追捕(ついぶ)されちゃう。きんじょづきあいをうとむひとが、平地集落をはなれてやまにすむことにしたのか。いや、ほんでもたんぼにいくのに不便じゃんか。やまの中腹のはたけだけじゃ生計をたてれんだらあに。いくまえの「いったいほこになにがあるのか」っていう疑問は解消したけど、こんどは「なんでここにこんなに民家がぱらぱらとあるのか」っていうあたらしい疑問がうまれた。はたして、このあたらしい疑問が解消する機会はおとずれるのか。
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(さんこう)
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