あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

六ツ美で おたうえ まつり ~悠紀 斎田の 記憶~

岡崎の 六ツ美 (むつみ)に 中島 (なかじま)って とこが ある。わが 古井 (ふるい)からだと 川島 (かわしま)、村高 (むらだか)を ぬけて、矢作川 (やはぎがわ)を 美矢井橋 (みやいばし)で わたると すぐ 六ツ美 (むつみ)に なるって いう ぐらい ほんとに ちかいだけど、むかしは 古井の 属する 安城 (あんじょう)も 六ツ美も おんなじ 碧海郡 (へっかいぐん)だっただ。

で、ほの 六ツ美の みなみはしの 中島で、きのう 2013年 6月 とおか 「おたうえ まつり」が あっただげな。

六ツ美悠紀斎田お田植えまつり (ちゅうにち 2013.6.11)
六ツ美悠紀斎田お田植えまつり (ちゅうにち 2013.6.11)

さおとめ すがた きょうの よい ひに

【岡崎 斎田 おたうえ まつり】
【保存会や 児童 参加】

さおとめ すがたの 女子 児童らが いろどる 「六ツ美悠紀斎田お田植えまつり」が 2013年 6月 ここのか、岡崎市 中島町の 斎田 あとちに ある たんぼで あった。大正 天皇の 大嘗祭 (だいじょうさい) (1915年)に こめを 献上した 際の たうえを 再現する 岡崎市 無形 民俗 文化財の 祭事だ。

六ツ美悠紀斎田お田植えまつり (岡崎経済新聞 2013.6.11)
六ツ美悠紀斎田お田植えまつり (岡崎経済新聞 2013.6.11)

じもと 住民らで つくる 保存会が まいとし 主催して おり、会員や 六ツ美南部小学校の 児童ら 42人が 参加した。200平方メートルの 専用の たに はいり 「きょうの よい ひの おたうえ はじめ♪」で はじまる おたうえ うたに あわせて、ていねいに なえを うえた。

斎田 (さいでん)とは - コトバンク
  1. かみさまに そなえる こめを 栽培する たんぼ。御供田 (ごくうでん)。神饌田 (しんせんでん)。いつきた。
  2. 大嘗祭 (だいじょうさい)の おそなえものに する 穀物を つくる たんぼ。悠紀 (ゆき)、主基 (すき)の たんぼ。

この ひ、たんぼ よこに 六ツ美 地区の 歴史を 紹介する 岡崎市地域交流センター六ツ美分館 「悠紀の里 (ゆきの さと)」も オープンし、おおぜいの ひとで にぎわった。

(ちゅうにち 2013.6.11 高橋健一氏)

なるほど、1915年って いう むかしに 大正 天皇 即位の 大嘗祭に つかう こめを つくる たんぼに 中島の たんぼが えらばれて、ほれを いまに つたえるべく 「おたうえ まつり」を やっとるって わけだ。こないだは フラガールも たうえ やっとるって ことに おどろいた とこだけど、こんなに 工業化が すすんだ いまも、やっぱり わが くにの アイデンティティーは たうえだ。

【解説】 〜「西尾鉄道と 岡崎」〜 - あきひこ ゆめてつどう|2011-10-31 > 悠紀斎田と 西尾鉄道
  • 1914年、大正 天皇 即位に ともなう 大嘗祭に つかう 新米を 生産する 斎田 (さいでん)に、当時の 六ツ美村の 水田が えらばれました (京都より ひがしを 「悠紀 (ゆき)の 地方」、にしを 「主基 (すき)の 地方」と する ことから、「悠紀 斎田 (ゆき さいでん)」と 称する)。いまでは 想像できませんけど、愛知 県内の 水田が 悠紀 斎田に 選定された ことは、愛知県 あげての おおきな 祝賀 行事で、非常な 歓迎を もって うけとめられた、ほこるべき できごとだったのです。
  • 1915年 6月、全国から おおきな 注目を あびる なかで おこなわれた 悠紀 斎田の おたうえ式への 参観者を はこぶ ため、西尾鉄道は 客車の 増結や 臨時 列車の 増発で 対応しました。当日の 中島駅は おおぜいの 乗降客で、たいへんな にぎわいを みせたそうです。

ところで、1915年の 悠紀 斎田 おたうえ式の とき 西尾鉄道 中島駅は おおにぎわいだったって いうだけど、「西尾鉄道って なに?」って いう はなしは またの 機会に あきひこ ゆめてつどうで。


(さんこう)