あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

むかしのあきひこ

こどもたちとふろにはいる。

ふろにはいる 1020-800

こどもをひざにいれる。

ひざにいれる 950-1380

こどもをだきかかえる。

だきかかえる 920-1330

(さんこう)

還暦

還暦のおいわいをしてもらったよ。

2017.1.28 還暦 (4)
2017.1.28 還暦 (5) たいのあまずあんかけ

むすめ夫婦が福来源で食事会をしてくれた。還暦Tシャツとめおとばしもおくりものにもらった。みせの大将とおくさんからもはなたばとさけをもらい、たいのあまずあんかけもたべさえてもらった。みんな、ありがとう。


(さんこう)

2016年の刑法犯認知件数、戦后最少を更新

2016年の刑法犯認知件数が100万件をわって、戦后最少を更新した。いいことだ。自主防犯活動の活性化もおおいに寄与しとるっておもう。

  • 刑法犯認知件数:はじめて100万件したまわる - 殺人も最少 - 毎日新聞(川上晃弘さん)|2017年1月19日10時53分
    • 警察庁は2017年1月19日、昨年2016年1年間に全国の警察が把握した刑法犯認知件数は996,204件(前年比9.4%減)で、記録の残る1946年以降、初めて100万件を下回ったと発表した。殺人(未遂を含む)も896件(同4%減)で、戦后最少を記録した2015年よりさらに減った。
    • 刑法犯認知件数は1,599,968件だった1948年以降、横ばいから減少傾向が続き、1973年に1,190,549件まで減った。その後は増加傾向となり、2002年のピーク時には2,853,739件を記録したものの再び減少。2007年には200万件を下回り、2015年は1,098,969件になっていた。
      にほんの刑法犯認知件数の推移 - まいにち
      △ にほんの刑法犯認知件数の推移 - まいにち
    • 人口1,000人当たりの認知件数を示す犯罪率は、1973年に11.0件で底を打った後、2002年には戦后最多の22.4件まで増えた。その后は減り続け、2016年は7.8件と戦后最少を更新した。警察庁は「防犯意識の高まりや、官民あげて犯罪対策を徹底した結果。今后も防犯に努めたい」としている。
    • 2016年の認知件数のうち、重要犯罪をみると強姦(ごうかん)は989件(同15.3%減)、放火は914件(同16.3%減)でともに1,000件を下回った。3桁になったのは強姦は1947年以来、放火は1948年以来となる。
    • 認知件数のうち、7割以上を占める窃盗犯は723,189件で、前年より10.4%減り、全体の認知件数の引き下げにつながった。そのうち、侵入窃盗、自動車盗などの重要窃盗犯は95,311件(同12.2%減)で、統計のある1954年以降、初めて10万件を下回った。
    • 粗暴犯は62,052件(同3.1%減)、風俗犯は10,394件(同5.8%減)。一方、詐欺は40,999件で前年から4%増えた。商品の販売に絡んで買い手をだます売りつけ詐欺(ネットオークションなどを除く)が7,244件で前年より30.1%増えているほか、還付金等詐欺も3,681件で54.9%増えたことなどが原因とみられる。
    • また、2016年の刑法犯の摘発件数220,318件のうち、防犯カメラなどの画像が容疑者特定の決め手になったのは、12,994件に上った。
    • 都道府県別では東京都134,624件大阪府122,139件愛知県70,256件と続く。検挙率は33.8%で2015年より1.3%上がった。

(さんこう)

豊洲移転の延期で業者に損失補償 - 東京都

きょねん2016年8月ふつかに東京都知事に就任した小池百合子さん。ひとつきもたたん2016年8月31日、いきなり築地市場豊洲移転に中止をかけた。都庁幹部に相談をかけることもなく、都議会にねまわしをすることもなく、独断でやったらしい。なんちゅうむちゃなことを!っておもっただけど、どうやら豊洲移転をきめたこと自体にむりがあったらしい。業者のほうも移転にむけて準備がしてあっただけど、これについても都が損失補償をすることにきめたげな。やっと着地点がみえてきたか。

(さんこう)

  • 豊洲補償、90億円で調整 - 業者損失、都17年度補正予算:政治:中日新聞(共同)|2017年1月26日11時49分
    • 築地市場から豊洲市場への移転延期に伴う業者の損失補償のため、都が総額90億円規模とする2017年度の補正予算を組む方向で最終調整していることが2017年1月26日、関係者への取材で分かった。
    • 都は今月2017年1月、当初の移転日だった昨年2016年11月7日以降に生じた設備の価値目減り分やリース料、冷蔵施設の電気代など具体的な補償項目を盛り込んだ「補償スキーム(枠組み)」を策定し、築地の業界団体に提示していた。
    • 関係者によると、各補償項目を検討し、昨年2016年11月から来年2018年3月までの総額を算定した。
  • 「築地」改革の象徴に - 小池知事 - 都政運営の主導権ねらう|日本経済新聞|2016/8/31 0:56
    • 東京都の小池百合子知事は2016年11月7日に予定していた築地市場豊洲市場への移転を延期する。2016年8月31日午后、正式表明する。豊洲の土壌の安全性、総事業費が膨らんだ経緯を自ら検証する必要があると考えた。2020年五輪時のインフラ整備に影響が出る可能性があるが、「都政改革」を掲げて当選した以上、予定通り移転させるわけにはいかなかった。
    • 小池知事は2016年8月30日、先の都知事選で立候補を見送った宇都宮健児・元日弁連会長と会談。「築地市場の移転のいったん停止」などを盛り込んだ要望書を渡され、「大変参考になる」と持ち上げた。ある都庁幹部はこの面会を「意見は庁内ではなく、庁外から聞くという意思表示」と受け止めた。
      宇都宮健児さんと小池百合子さん(にっけい)
      写真=宇都宮健児氏(ひだり)から東京都政にたいする要望書をうけとる小池百合子東京都知事 - 2016年8月30日午后、東京都庁
    • 小池氏は知事選後「これまで見たことがない都政を実現する」と発言。都議会の重鎮と都庁幹部との調整で進む都政を「都民の手に取り戻す」と訴えてきた。
    • 築地市場移転はその試金石ともいえる。知事が問題視するのは安全性と費用の2点。豊洲はかつて有害物質のベンゼンが高濃度で検出された。都は地下水について計8回の調査を実施する予定で、過去7回は環境基準を満たしていた。ただ、8回目の調査は移転予定後に始まる。「これらのことをきっちりやっていくことが結果として安心につながる」と説明する。
    • 5,884億円という巨額の事業費にもメスを入れたい考えだ。計画額からは約4割増えており、特に施設建設費は3倍近い2,752億円に膨らんだ。「入札不調もあり、仕方ない結果」との見方が都庁内では大勢だが、知事周辺は「都民の普通の感覚からすれば不透明」と指摘する。
      築地市場と豊洲市場のばしょ(にっけい)
      △ 築地市場と豊洲市場のばしょ(にっけい)
    • 豊洲市場は建物はすでに完成して、ほぼ引っ越しを待つばかり。移転が遅れれば、築地跡地を通す予定の20年五輪の主要道路の整備などに支障が出ると指摘されていた。移転を予定している卸業者の経営にも影響が予想される。
    • しかし、都民から見て「わかりくにい」象徴ともいえる築地移転に手をつけなければ、支持を失いかねない。今後の都政運営で主導権を握るためにも、予定通りの移転を認めるわけにはいかなかったようだ。
    • 小池知事は都政にメスを入れるため「第三者の目」を持ち込む考えだ。都民目線で政策を点検する「都政改革本部」を9月1日に発足させる。顧問には大阪府市改革に携わる経営コンサルタント上山信一氏や、環境大臣時代の部下である小島敏郎氏らを招いた。
    • 今回の築地市場の移転問題でも延期の検討は顧問らを中心に進め、都庁幹部への相談はなかった都議会に根回しをした形跡もない
    • 小池知事は豊洲への移転自体を否定しているわけではない。早ければ来年2017年2月にも移転する案が有力視される。その際、安全性、事業費の妥当性について、都民の納得が得られなければ、無駄な先延ばしだったといわれかねない。延期は決めたが、その後、どう着地させるのか、シナリオはまだみえてこない。
  • 築地市場移転を延期 - 小池都知事表明へ(共同)|ちゅうにち|2016年8月30日11時27分
    • 東京都の小池百合子知事が、2016年11月7日に予定している築地市場から豊洲市場への移転を延期する方針をかためたことが2016年8月30日、分かった。都関係者が明らかにした。豊洲市場の開場時期は、現在実施している地下水のモニタリング調査結果が出る来年2017年1月以降に改めて判断する見通し。近く記者会見して表明する。
      築地市場(ちゅうにち)
    • 移転延期によって、築地市場の跡地を通り、2020年東京オリンピックパラリンピックの選手村と都心部を結ぶ環状2号線の整備計画に影響が出る可能性がある。移転準備を進めていた業者への補償問題も浮上しそうだ。

どうなるウイグル会議議長の台湾訪問

世界ウイグル会議ラビア・カーディル議長が台湾を訪問する計画がもちあがった。台湾独立派政党、台湾団結連盟のまねきによるもんだけど、これをみとめるべきかみとめざるべきか、蔡英文政権の対応が注目をあつめる。みとめやあ中国が反発するだらあし、みとめにゃみずからの支持基盤である独立派の反発をうけるだらあし。すすむも地獄しりぞくも地獄ってかんじか。

ウイグルと台湾の位置関係図(あきひこ)
△ ウイグルと台湾の位置関係図(あきひこ)

ウイグル議長が台湾訪問を計画 - 蔡政権の対応焦点 - ちゅうにち 2017.1.25
ウイグル議長、台湾訪問計画 - ちゅうにち 2017.1.25
台湾独立派の政党、台湾団結連盟(台連)は2017年1月にじゅうよっか、在外ウイグル人組織「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル議長が台連のまねきにおうじ、2017年3月末に台湾を訪問する計画があることをあきらかにした。カーディル氏の台湾訪問は中国のつよい反発が予想され民進党蔡英文政権はむづかしい対応をせまられそうだ。
カーディル氏は過去3回台湾訪問を申請しとるけど、当時の馬英九政権は中国との関係悪化をけねんして査証を発給せんかった。蔡英文氏は2009年に雇うの民進党主席のたちばで「なんで中国とおんなじ対応をするのか」って批判しとった。
中国は、蔡政権が入境を許可したばあい、台湾にたいする報復や圧力をつよめる可能性がある。いっぽうで不許可となや、蔡政権をささえる台湾独立派のつよい反発をまねくのは必至だ。
△ ウイグル議長、台湾訪問計画 - ちゅうにち 2017.1.25

山口柳助の従軍記とてっぽうだま

山口笑子さんっていうおばあさんのうちに、ご先祖さまのかいた従軍記とてっぽうだまが保管してあった。やねうらべやにあったか土蔵にはいっとったかはわからん。ほのあと寄付をうけて、あんじょうし歴史博物館がもっとっただけど、きょねん一般公開されて、おれもみてきた。なにっていうこともなさそうだけど、じつはこれ太平洋戦争とか日露戦争じゃなくて、幕府軍天狗党征伐や長州征伐に参加したときの記録なだ。しかもこのご先祖さまはあんじょうむらの百姓。いや、百姓が幕府軍に参加っておかしいじゃんか!っておもうだらあ。徴兵制って、明治になってから西洋にならって導入した制度だってならっとるもんね。うん、幕末もおしつまって薩長のちからがつよまってくると、武士だけじゃまにあわんくなっただね。1862年、っていうと明治維新のわずか6年まえのことだけど、このとしに兵賦令(へいぶれい)ってのがだされて、旗本や御家人は石高におうじて、じぶんの領地から歩兵を幕府にだすことになった。ほんで、当時のあんじょうむらの領主、旗本の久永石見守(ひさながいわみのかみ)には13人がわりあてられて、ほのうちのひとりが山口笑子さんのご先祖さま、山口柳助だったってわけだ。

いくつか展示物を写真にとってきており、以下に紹介する。

◇            ◇

柳助のきふだときんちゃくぶくろ、たまいれぶくろとてっぽうだま

20160503_155446 柳助のきふだときんちゃくぶくろ、たまいれぶくろとてっぽうだま
「うすいあいいろのふくろにはいっとったのは柳助(竜助)がもっとった鉄砲だまです。旧式で滑腔式*1のゲベール銃などの鉄砲だまは球形をしております。最新の施条式のミニエー銃などの鉄砲だまは円すい形をしております。旋条式*2の銃は、滑腔式にくらべひきょりや命中率がかくだんにあがったっていわれております」
「きふだには「小」「歩兵組」っていうやきいんとはんたいがわに「久永石見守兵賦竜助(柳助)」と墨書があります。きふだは鑑札やてがたのようなみぶん証明書のようなものっておもわれます。きんちゃくにも「三番柳助」とあります」

柳助の「長州征伐御用中日記」

20160503_155545 柳助の「長州征伐御用中日記」
「「長州征伐御用中日記」は、柳助たち歩兵隊が江戸をしゅったつした1865年*35月いつかからはじまる第2次長州征伐の記録です。柳助たち歩兵隊は、江戸から2か月かけて大坂にとうちゃくし、ここで長州のいごきをまってなんかげつもすごし、ほのあいだたたかいにそなえて訓練をしておりました。じっさい長州へむかったのは翌1866年6月で、幕府軍は広島に本陣をかまえました。柳助たち歩兵隊は蒸気船で周防大島へむかい、ここで戦闘になりました。柳助はひだりてあしにかすりきずをうけたってしるしております。これらの記述は、まちがいやはしりがきが多々みられることから、直近にかかれたっておもわれます」
「『御用日記控』は1863年から1865年の将軍上洛による大坂御用のため、柳助たち歩兵隊が東海道のぼりくだりの宿や水戸天狗党征伐、第2次長州征伐での戦闘の内容と宿の記録をまいにちまとめたものです。さらに十数年后の明治にはいってからの記述もあります。しゅくばごとにひづけと昼食やとまり、ほのひのはたごのなまえがしるされております」

「長州征伐記」

20160503_155647 「長州征伐記」
「「長州征伐記」は柳助がうつした3冊からなる后年の記録ものです。1865年、朝廷は禁門の変をおこした長州藩の征伐を命じます。幕府は諸藩に第2次長州征伐を命じ、6月*4に出兵となりました。柳助たちは1865年5月いつかに江戸をしゅっぱつしました。作者は「西丸下第一大隊三番小隊岡田鉱吉述」とあります」

柳助の従軍行程

20160503_155909 柳助の従軍行程
柳助の従軍行程
1864年水戸天狗党征伐の宿泊地=6月22日に千住をしゅっぱつしてから関ヶ原まで
1865年第2次長州征伐の宿泊地=5月いつかに川崎をしゅっぱつしてから大坂まで
1866年第2次長州征伐の宿泊地など=6月いつかに江〇*5をしゅっぱつしてから品川まで

にほん各地を転戦した歩兵柳助の記録

20160503_160059 にほん各地を転戦した歩兵柳助の記録
にほん各地を転戦した歩兵、あんじょうむら柳助の記録
幕末、くろふねの来航よりにほん国内外の情勢は緊迫し、幕府は文久の改革をおこないます。1862年、軍制をあらためて12月みっかに兵賦令(へいぶれい)がだされました。旗本や御家人は石高におうじて、領地から兵賦(歩兵のこと)を幕府にだすことになりました。
あんじょうむらの領主である久永石見守(ひさながいわみのかみ)は5,000石の旗本のため13人がわりあてられました。ほのうちのひとりがあんじょうむらにすむ柳助(竜助)で、あたらしくできた陸軍奉行下の歩兵奉行ひきいるいちばんしたの歩兵組に配属されました。いまの皇居まえひろばのある外苑あたりの西丸下の屯所(とんしょ)にはいりました。ほこで最新の洋式歩兵訓練をうけ、有事のさいに召集されました。
柳助たちの初陣は、1864年3月水戸藩尊王攘夷派が挙兵した天狗党の征伐でした。柳助たちは水戸へむかい、天狗党が上洛のため中山道を進軍するのをけん制しながら美濃関ヶ原までむかいました。
1865年、第2次長州征伐がおこなわれ、柳助たちは西丸下歩兵隊として召集され、5月に江戸をでて、翌月に大坂につきました。大坂を拠点に1年間、安芸国などへなんどか往復しております。翌1866年6月に、柳助たちは淡路島の江崎から幕府の蒸気船で周防大島へ上陸し、長州軍とたたかいました。将軍家茂(いえもち)の死去により、8月に長州征伐は停戦となりました。
柳助は、従軍した期間におこなった28か国のしゅくば、ひるめし177宿、宿泊189宿のなまえを記録しております。また、ほかにも長州征伐のときは、おおぜいの出兵のためべんとうなどの確保がなく、おかず、ふとん、ふろの代金をかきしるしたり、たたかいがないときに寺社へ参詣したことなども記録しております。
1867年3月、柳助たちは5年の任期をおえ帰国しました。ほのあと柳助は、あんじょうむらの久永石見守の陣屋につとめ、まもなく明治をむかえました。

「御上洛供奉御用掛御役人附」 - 1863年

20160503_160631 「御上洛供奉御用掛御役人附」

常州水戸浪徒追討記」(全5巻)、きばこ「常州水戸・長防二州浪徒追討記」

20160503_160733 「常州水戸浪徒追討記」

「1865年大阪御用・野州御用休泊附」

20160503_160819 「元治2年大阪御用野州御用休泊附」
これらの資料はすべて「常州水戸・長防二州浪徒追討記」と墨書のあるきばこにおさめられておりました。
常州・水戸浪徒追討記」は西丸下屯所におる兵賦(歩兵)を中心に征伐におもむいた全5冊の記録です。后年に柳助(※ このときは権六となのる)がかいたものですけど、本人があらわしたものか、西丸下屯所関係者の記録をうつしたのか不明です。
「大坂御用・野洲御用休泊附」は1863年から1864年にかけて第14代将軍家茂の上洛時に大坂へむかったときのしゅくば記録です。大阪には歩兵が調練する講武所がありました。ほかにも天狗党征伐や第2次長州征伐のしゅくば記録もあります。
「御上洛供奉井御用掛役人附」は、第14代将軍家茂の上洛時の行列にしたがった老中・若年寄などのなまえがあげられております。御軍艦奉行並に勝麟太郎勝海舟)のなまえがみえます。

「水府戦争絵図(1864年)」

20160503_160916 「水府戦争絵図(元治元年)」
天狗党が挙兵した水戸城の周辺の地図です。幕府の征伐軍はえず中央の那珂川(なかがわ)のしたに布陣しております。ほのなかで柳助が所属した西丸下ロ所(陣所?)がほぼまんなか(ロ沢(柳沢?)にえがかれております。

厳島社頭之図」

20160503_161020 「厳島社頭之図」
名所であった安芸国宮島の厳島神社のえずです。宮島は周防大島のきたに位置しており、柳助が第2次長州征伐でおもむいたさいに入手したっておもわれます。

幕末の農民従軍記録発見 - ちゅうにち 2016.4.6

幕末の農民従軍記録発見 - ちゅうにち 2016.4.6
あんじょうし歴史博物館が所蔵する古文書が、幕末に江戸幕府の歩兵隊に従軍したあんじょうむらの農民がかいた日記や回想録だったことがわかった。農民の従軍記録はめずらしく、立正大学の石山秀和准教授(にほん近世史)は「ひじょうに貴重な資料だ」っておどろいとる。(重村敦さん)
古文書は22点。幕府の歩兵隊に撤収された農民の山口柳助(竜助、生没年は不明)が20代だった1862年から5年間、天狗党の征伐や第2次長州征伐などで従軍した体験をかいた日記や回想録のほか、従軍なかまのえずなどもある。
柳助の子孫にあたる山口笑子さん(85)が1994年、あんじょうしの自宅で保管しとった古文書を、柳助がつかったってみられる西洋式銃の弾丸数点やたまいれぶくろなどとともにあんじょうし歴史博物館に寄贈した。
古文書の「長州征伐御用中日記」では、幕府の蒸気船で山口県周防大島に上陸し、長州軍とたたかったことなどを記録。一連のたたかいのなかで、ひだりのてとひだりあしのつけねにすりきずをおったこともかきのこした。
水戸藩尊王攘夷派が挙兵した天狗党の征伐の記録では、天狗党中山道をすすむのをけん制しながら、美濃関ヶ原へむかった体験をつづっとる。
あんじょうし歴史博物館の水谷令子専門整理員は「古文書だけでなく、弾丸やたまいれぶくろも、幕府が西洋式銃をもちいとったことをうらづけるもので貴重だ」ってはなしとる。いっぽう、寄贈した山口笑子さんは「先祖がいっしょうけんめいやったことが評価されてうれしい」ってよろこんどる。
寄贈資料の一部は常設展で展示されとる。観覧料200円。
〔といあわせ=あんじょうし歴史博物館=0566-77-6655〕

農民の従軍記録発見 - あさひ 2016.4.5

農民の従軍記録発見 - あさひ 2016.4.5
幕末の江戸幕府歩兵隊 - あんじょうし歴史博物館「貴重な資料」
幕末、江戸幕府の歩兵隊に参加したあんじょうむらの農民の従軍記録がみつかった。あんじょうし歴史博物館が2016年5月よっか記者会見し、発表した。この博物館は「明治維新史をかんがえるうえで貴重な資料」ってし、常設展示するっていう。
資料は22年まえ、あんじょう市内の山口笑子さんからこの博物館に寄贈された。この博物館によると、「長州征伐記」など22点からなり、執筆者は農民で、江戸の旗本家へ奉公しとった山口柳助(后年、権六)の21才から5年間の従軍記録だ。
ういじんは1864年、水戸藩尊王攘夷派が挙兵した天狗党征伐。柳助たちは実線こそなかったけど、中山道で、京都をめざす天狗党を警戒しつづけた。また、第2次長州征伐にも参加した。
柳助は従軍機関におとずれた28か国366のしゅくばや休憩所、やどのなを記録し、おかずやふとん、ふろの代金や寺社への参拝記録ものこした。

以上

*1:原文はまちがえて「滑空式」ってかいとる

*2:原文はまちがえて「施錠式」ってかいとる

*3:原文はまちがえて「1866年」ってかいとる

*4:なんねんの6月か不明

*5:「江坂」かもしれん

「じゃらん」下呂版第2弾完成 - わかものめせんで

旅行雑誌「じゃらん」の下呂版ができたげな。じつは第1弾でふゆ版ができとって、こんかいの第2弾はなつ版。わかものめせんであたらしい来訪者を発掘できるといいね。

(ちゅうにちのきじ)

  • なつの下呂もわかものめせんで ご当地「じゃらん」第2弾完成:岐阜:中日新聞(小柳津心介さん)|2017年1月26日
    • 下呂市をおとずれた大学生らがかんがえた観光日程をもりこんだフリーペーパー下呂じゃらん」なつ版が完成した。旅行雑誌「じゃらん」のご当地版で、昨年2016年1月発行のふゆ版につづく第2弾。2017年3月から各旅館などで1万部を配布し、わかものめせんの特色のある日程を誘客に活用する。
      下呂じゃらん(ちゅうにち)
    • 大学生らによる観光日程づくりは、旅行誌「じゃらん」の発行もとリクルートライフスタイルなどが協力し、2015年に下呂市がはじめて実施した。昨年2016年は8月に、下呂温泉観光協会などでつくる下呂市DMO委員会が主催。東海や関東、関西の大学生や大学院生25人が、各地域の住民と交流しながら構想をねった。
    • 下呂じゃらんは、A4判いろずりで8ページ。ふゆ版と同様に、学生の案を採用した日程や商品は「学生のこえで実現」って題してけいさい。下呂市萩原町の南ひだ健康道場でそばうちと野草つみ体験をたのしみ、野草のてんぷらそばをあじわう日程や、下呂温泉街で販売するぢざけののみあるきセット、マスコットキャラ「げろぐるくん」のついた下呂げた」などを紹介しとる。
    • 馬瀬地区のまぜ川上(かおれ)健康農園でのブルーベリーがりやパイづくり体験など、きょねん2016年のなつにいちはやく実現し、好評をえとる日程もあるっていう。