まあはい先々月のことになっちゃったけど、記録しとく。2015年9月23日すいようび秋分のひ、クルマでどっかいくかってことで、豊田のほうにむかった。まえにいった大給城(おぎゅうじょう)からのけしきをつまにもみせえっておもって、てきとうにクルマをすすめる。やまがにはいってしばらくしたとこで、ナビに古瀬間城址(こせまじょうし)ってのがあらわれる。大給城の位置をはっきりわかっておらず、まあこっちでもいいかってことでいきさきをかえる。二度、三度とみちをきき、やっととうちゃく。浄願寺っていうおてらの境内のいちばんおくに古瀬間城へののぼりぐちがある。大給城におなじく古瀬間城もやまのうえにあるだ。
うえまでのぼるとたいらなばしょになる。ここが古瀬間城址だ。さいしょに「こせま城址歌碑のさと」っていういしぶみがめにはいる。ほかにもうたがきざまれたいしぶみがあり、なるほど歌碑のさとだ。
おくのほうに再現されたみはりやぐらがある。2階にのぼってみると、なるほどとおくまでみえるわ。にしにむかって西三河平野の大部分から尾張のほうまでみえる。
△ みはりやぐら(うえ=全景)(した=2階で記念さつえい)
かえりみち、浄願寺の境内で、2階に鐘楼もあるりっぱな山門にみとれとるととこで、おてらのおくさんによびとめられ、本堂にあがることになる。このおてらに縁もゆかりもないわれわれをあげてくれるとは。あがってまずは、阿弥陀さんのましますりっぱな仏壇を中心に、いろんな仏師が左右にまつられとるほの壮観さにおどろく。阿弥陀さんもすごいくろびかりがしとって、鎌倉時代からの由緒あるものらしい。むかしはこんなやまがでも平野部とかわらずに文化がさかえとっただ。また、おちゃとおかしがだされ、和尚さんとおくさんからいろんなはなしをきく。おくさんは農家のでだそうで、おてらにおよめにきて、ずいぶんと苦労をされたようすだった。また、和尚さんのいまはなきおかあさんが、あんじょう西尾の明法寺のでだったこと。なんと、わが古井のとなりむらだ。おちゃとおかしをよばれ、りっぱなものをみせていただき、いろんなおはなしをさせていただきながら、おさいせんをちょこっとしかいれんかったことに罪悪感をいだき、おてらをあとにした。
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(さんこう)