1940年の安城(あんじょう)をみてきた。
◇ ◇
写真はおくがきたで、てまえがみなみ。みぎがひがしで、ひだりがにし。中央おくの国鉄安城駅(あんじょうえき)からみなみにのびるのが、えきまえどおり。きたが本町どおり、みなみが末広どおりっていうなまえもある。これと平行して1本ひがしを南北にはしるのが本どおり。本町どおりと本どおりってまぎらわしい。本どおりからふみきりをわたったきたがわは北明治どおりになる。東西にはしるとおりは1本のとおりでありながら、にしから御幸どおり(みゆきどおり)、栄町どおり(さかえまちどおり)、朝日町どおり(あさひまちどおり)となまえをかえる。えきまえどおりからにしが御幸どおり、えきまえどおりと本町どおりのあいだのみじかい区間が栄町どおり、本町どおりからひがしが朝日町どおりだ。写真にはうつっとらんけど、朝日町どおりからひがしはさらに日の出どおり(ひのでどおり)につながる。朝日町と日の出ってのも区別がつけにくい。
「この模型は1940年の安城町鳥瞰図(ちょうかんず)や航空写真などを参考につくられております。まちの中心にある安城駅が1891年にできたころ、このあたりには農家が数件あるだけでした。まもなくえきまえには運送店や旅館などがたちはじめ、しだいに市街地が形成されました。大正期には、知立から碧海郡役所や警察署が移転し、にほんのデンマークとよばれたこの地域の中心的やくわりをはたすようになりました」
にし半分。写真からははずれるけど、御幸どおりをまあちょっとにしにいくと、1938年からの5年間、新美南吉が教師をつとめた安城高等女学校がある。写真てまえ、ななめにはしるのは花ノ木どおり(はなのきどおり)だ。
ひがし半分。写真からははずれるけど、朝日町どおりをまあちょっとひがしにいくと、日の出どおりから名鉄西尾線の南安城駅になる。
東南方向から国鉄安城駅をみたとこ。ホームはしましきで、地平の駅舎からこせんきょうをわたっていくだった。
御幸どおりを拡大したとこ。みぎてまえにエックスがたにみえるのが更生病院(こうせいびょういん)。いまはたんぼんなかに移転しちゃっとる。とおりのむこうがわ、ちょっとおくにあるのが安城農業図書館。これも市立図書館にかわって、いまはたんぼんなかにあるだけど、2017年には更生病院のあとちにもどってくる。安城農業図書館のにしに町農会館と郡農会館がならんでたっとる。安城はむかしは農都っていわれたぐらい農業がさかんだっただ。このふたつのたてもんも、いまはJAあいち中央の本店にかわっちゃっとって、さらに区画整理事業にともなってたてかえの最中だ。完成はことしあきだったか。
◇ ◇
こんなすばらしい模型があったって、しらんかったがや。
(さんこう)