あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

名古屋空襲展 - ピースあいち

2015年3月17日にみてきたピースあいちの名古屋空襲展(なごやくうしゅうてん)について、これまでちょこっとづつ紹介してきたけど、しめくくりとしてぜんたいをのせとく。

わかものも名古屋空襲(くうしゅう)しって - ピースあいちが企画展

  • 名古屋のひとたちの生活を破壊した第二次世界大戦末期のアメリカ軍による空襲(くうしゅう)被害をパネルや資料でしめす企画展「名古屋大空襲から70年」が2015年3月28日まで、愛知県名古屋市名東区よもぎ台2丁目820にある「戦争と平和の資料館ピースあいち」でひらかれとる。展示をとおして、戦争をしらん世代に空襲被害をしってもらうねらい。
    20150317 (1) ピースあいち
  • 戦争と平和の資料館ピースあいちの担当者は「70年まえの空襲被害を、わかいひとたちにこそしってもらいたい。にほんじんの被害だけではなく、にほんじんが他国のひとたちにあたえた加害にもおもいをめぐらせてほしい」って来場をよびかけとる。
  • 「新修名古屋市史」には、空襲による市内の焼失面積は38.6平方キロメートル、被災家屋は13万5千戸以上、死者7,802人、負傷者9,911人って記録されとるけど、ほんとに正確な犠牲者数はわかっとらん。
【きりぬき】 わかものも名古屋空襲しって - ピースあいちが企画展 - あきひこの いいたいほうだい|2015/03/11

愛知の空襲

  • 愛知県とくに名古屋市は、アメリカのB29戦略爆撃の最重要目標のひとつでした。この地域は、京浜、阪神地区につぐ軍需産業の中核地域であり、全国でも最大規模の航空機の生産拠点でした。愛知の空襲は、名古屋への爆弾の総投下量が最大級で、たいへんはげしいものでした。はつ空襲をべつにして、愛知の空襲は3期にわけられます。

はつ空襲【ドーリットル空襲】1942年

  • 1942年4月18日、にほんに接近したアメリカ海軍空母ホーネットから双発爆撃機B25が16機とびたち、ほのうち2機が、午后1時30分ごろ、名古屋を奇襲しました。陸軍病院(現在の国立病院・名古屋医療センター)、東邦ガス三菱重工業大江工場など6か所が爆弾や焼夷弾(しょういだん)をうけました。このにほんへのはつ空襲は、爆撃隊長のなまえから「ドーリットル空襲」ってよばれます。
愛知県下の空襲 - はつ空襲【ドーリットル空襲】1942年 - あきひこの いいたいほうだい|2015/03/22
はつ空襲をうけたのが開戦からたった4か月のときだったとは|フェースブック

第1期【軍需工場への爆撃】1944年12月から1945年2月

  • この時期はB29爆撃機によりひるま、1万メートルもの超高々度から軍需工場にたいして精密爆撃がおこなわれました。主として航空機エンジンの生産拠点であった三菱重工業大幸工場(だいこうこうじょう)(現在のナゴヤドームを中心とした一帯)と機体を生産しとった三菱重工業大江工場(おおえこうじょう)がねらわれました。
    20150317 (5) 1944.12.13 三菱重工空襲
  • 1944年12月13日から翌年2月にかけ、三菱重工業大幸工場が4回、大江工場が2回の爆撃をうけました。1月には数回の市街地爆撃もありました。
愛知県下の空襲 - 第1期【軍需工場への爆撃】1944年12月から1945年2月 - あきひこの いいたいほうだい|2015/03/22
本格的な名古屋空襲は、1941年12月ようかの開戦から3年もたってからだったか|フェースブック

第2期【名古屋市街地への焼夷弾空襲】1945年3月から1945年5月

  • アメリカ軍は1945年3月中旬、国民の戦意喪失をねらって、にほんの大都市にたいする「電撃作戦(BLITZ)」を展開しました。
    20150317 (4) ピースあいち - にほん本土空襲
  • この時期、名古屋は1945年3月12日と19日の二度にわたり、夜間、2,000メートル前后の低高度から、市街地への焼夷弾(しょういだん)爆撃をうけました。
    20150317 (6) ピースあいち - 1945.3.19 名古屋空襲
  • アメリカ軍は、この電撃作戦でマリアナ基地の焼夷弾をつかいはたしてしまい、ほの補給まちのあいだ、ふたたび爆弾による精密爆撃をおこないました。名古屋では、1945年3月にじゅうよっか、三菱重工業大幸工場(だいこうこうじょう)が爆撃されました。この爆撃は、意図的に爆弾を拡散させたため、千種区や東区などの民家に破壊力のつよい爆弾がふりそそぐ結果となり、名古屋市街地にたいする空襲としては最大の犠牲者、死者1,678人がでました。
    20150317 (21) ピースあいち - 防空壕
  • ほのあと、1945年4月中旬から沖縄支援作戦による1か月の中断があり、1945年5月中旬からB29舞台による爆撃が再開されました。
  • 名古屋市街地は1945年5月じゅうよっか、17日の二度にわたる焼夷弾爆撃によりみわたすかぎりの焦土と化しました。名古屋のシンボルであり、市民からもしたわれた名古屋城天守閣がやけおちたのも、1945年5月じゅうよっかの空襲でした。
愛知県下の空襲 - 第2期【名古屋市街地への焼夷弾空襲】1945年3月から1945年5月 - あきひこの いいたいほうだい|2015/03/24
名古屋のまちがやけのはらになっていくさまがかなしい|フェースブック

第3期【中小都市への空襲と工場爆撃】1945年6月から1945年8月

  • この時期は、天候のいいひは、ひるま、6,000メートル前后の高々度から軍需工場にたいする精密爆撃を、天候のわるいひは、夜間、中小都市にたいする焼夷弾爆撃がおこなわれた時期です。アメリカ軍はこの作戦をエンパイア計画ってよびました。
  • B29の爆弾積載量の増大や爆撃精度が向上し、数十機規模の小戦力でも攻撃目標にじゅうぶんな打撃をあたえることができるようになり、B29部隊は同時に複数の目標を攻撃するようになりました。1945年6月ここのかには、名古屋の愛知時計電機愛知航空機が爆撃されました。このひの爆撃は攻撃目標が複数であったため、名古屋に接近しつつある部隊を、阪神地区の爆撃をおえた部隊ととりちがえて警報を解除するミスがおこり、2,000人をこえる多数の犠牲者をだしました。
    20150317 (13) ピースあいち - 1945.6.9 愛知時計空襲
  • ほのあと1945年6月はつか豊橋、6月26日名古屋造兵廠(ぞうへいしょう)各工場、愛知航空機永徳工場(えいとくこうじょう)、7月13日一宮、7月はつか岡崎、7月にじゅうよっか中島飛行機半田工場と愛知航空機永徳工場、7月28日ふたたび一宮、8月なのか豊川海軍工廠がそれぞれ爆撃されました。8月じゅうよっかには、春日井などに、原爆投下部隊による模擬原爆(パンプキン爆弾)の投下訓練などがおこなわれました。
    20150317 (15) ピースあいち - 岡崎空襲
愛知県下の空襲 - 第3期【中小都市への空襲と工場爆撃】1945年6月から1945年8月 - あきひこの いいたいほうだい|2015/03/28
ここまでにほんじんのいのちをむだにせにゃ、戦争やめれんかったのかん|フェースブック
【かなしい艦載機空襲】|フェースブック

(さんこう)