あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

電車に機銃掃射するとは - 渥美線

豊橋の空襲(くうしゅう)は1945年の6月19、はつかだったってきいとったけど、終戦まえびの1945年8月じゅうよっかにもアメリカ軍機がきて機銃掃射をしていったらしい。標的になったのは渥美線の電車で、成章中学校(いまの成章高校)の生徒6人をふくむ15人が死亡、16人が負傷したっていう。

証言1=おかあさんといっしょだったむすめさん(当時18才)
「空襲警報がでとるなか、2両編成の列車は三河田原駅を発車した。とまるとバン、バンと銃撃された。けがをしたははおやとふたりでひだりがわのドアからころがりおちるようにおり、ちかくのはやしへにげこんだ。わかい男性は3メートルてまえでうたれて死んだ」
証言2=成章中学1年生だったこ(当時12才)
「銃撃された瞬間、バアーとけむりがあがった。天井にあながボコボコにあいとった。いまでもつまにもこどもにもはなしたことはない。想像を絶する経験ではやくわすれさりたかった」

このような非道をおこなったアメリカに謝罪をもとめたい。また、わがくにがこんな状態になるまで戦争をやめんかった昭和軍部の責任をといたい。


(さんこう)

関係画像
学徒殉職のいしぶみ 機銃掃射をうけた渥美線の電車
1945.8.14 アメリカ軍による渥美線電車機銃掃射げんば地図
△ うえひだり=学徒殉職のいしぶみうえみぎ=機銃掃射をうけた渥美線の電車
△ した=1945.8.14 アメリカ軍による渥美線電車機銃掃射げんば地図
〔※ 画像はいずれも「ここでも道草」さんのブログから拝借したもの〕

  • 渥美線、終戦前日の悲劇 - アメリカ軍機銃撃の証言集 - 名古屋:朝日新聞デジタル(松永佳伸さん)|2015年7月20日13時22分 〔ねたもと〕
    • 70年前の1945年8月14日、現在の愛知県田原市内で、運行中の名古屋鉄道渥美線(現・豊橋鉄道渥美線)の車両が、アメリカ軍機から攻撃を受け、乗客ら15人が死亡した。終戦の日の前日に起きた悲劇はほとんど知られていなかったが、市民グループ「豊川流域研究会」が同乗者や目撃者などへの聞き取り調査をもとに証言集を作り、全体像を明らかにしつつある。来月2015年8月12日、慰霊祭と報告会を開く。
    • 田原町史などによると、三河田原駅を出発して新豊橋駅へ向かっていた列車は、田原市(たはらし)豊島町(としまちょう)付近でアメリカ軍のP51戦闘機から機銃掃射を受けた。旧成章中学校(現・成章高校)の生徒6人を含む15人が死亡、16人が負傷したという。
    • 研究会は、愛知大学のオープンカレッジ修了生の有志が2006年度に立ち上げ、郷土史などを調べてきた。
    • 2年前、三河田原駅の90年史について、聞き取り調査をした際、沿線で暮らす女性が終戦前日の「事件」を語ってくれた。
    • 事件を知らなかった研究会代表の山田政俊さん(70才)=田原市野田町(のだちょう)=は昨年2014年、会の研究テーマにすることを提案した。
    • ただ現場近くには慰霊碑はあるものの、当時の新聞や市の資料など概要がわかる情報は、ほとんど残されていないことがわかった。
    • そのため列車の同乗者や沿線住民などの証言を集めることにした。8人のメンバーが30人余りから聞き取りをした。
    • 当時、買い出しで母親と一緒だった愛知県豊橋市植田町の大谷孝子さん(88才)は「空襲警報が出ている中、2両編成の列車は三河田原駅を発車した。止まるとバン、バンと銃撃された。けがをした母親と2人で左側のドアから転がり落ちるように降り、近くの林へ逃げ込んだ。若い男性は3メートル手前で撃たれて死んだ」
    • 成章中学1年生だった豊橋市大清水町(おおしみずちょう)の鈴木哲也さん(82才)は「銃撃された瞬間、バアーと煙が上がった。天井に穴がボコボコに開いていた。今でも妻にも子どもにも話したことはない。想像を絶する経験で早く忘れ去りたかった」
    • 研究会は2015年3月末、23人分の聞き取りをまとめた冊子「証言 渥美線電車機銃掃射」(B5判、110ページ)を作った。200部を発行し、図書館や成章高校などに配布した。残りの証言も続編として発行する予定だ。
    • 2015年8月12日には、現場で慰霊祭と、別の場所で「聞き取り者のつどい」として、調査の報告会を開く。山田さんは「この惨劇を風化させず、語り継いでいくことが大切。70年間、重荷を背追い、耐えてきた人の言葉を紡ぎ、記録に残しておきたい」と話す。
    • 情報提供や問い合わせは、山田さん(0531-25-0195)へ。
  • ここでも道草:渥美線電車機銃掃射 - 現場|2015年6月28日(日) 〔げんばの地図あり〕
  • 渥美線銃撃の体験まとめる - 悲劇を後世へ・豊川流域研究会 - 東愛知新聞:本日のニュース|2015年5月13日(水曜日)
  • 愛知県下の空襲 - 第3期【中小都市への空襲と工場爆撃】1945年6月から1945年8月 - あきひこのいいたいほうだい|2015/03/28
    • 1945.6.19、20 - 豊橋の空襲
      • 1945年6月19日夜半からはつかにかけて福岡、静岡とともに爆撃をうけた。B29、141機が出撃し、2,100メートルから2,700メートルの高度から946トンの焼夷弾(しょういだん)を投弾した。アメリカ軍が目標とした市街地の52パーセントが焦土と化した。犠牲者数624人。なお、国民学校などに分散収容された被災者のなかから赤痢(せきり)が発生し、やけあとのバラックで生活するひとたちのあいだに蔓延、ほの死者は385人にたっしたっていう。
      • したのパネルの写真は、空襲でがれきのやまとなった豊橋市中心部の札木町(ふだぎちょう)から豊橋駅方面をみたとこ。
  • なのはな 電車で 田原まで - あきひこゆめてつどう|2013/02/15
    • やぐま台は 棒線 ホーム。そうとう いなかに なって きただけど、ほれでも ホームに まちあいしつが あるのに おどろき。
    • あいかわらず 時速 60キロで 電車は すすむ。
    • やまの いりぐち みたいな とこに なって、豊島 (としま)。棒線 ホームに まちあいしつ あり。
    • じきに 平坦な 地形に もどって、神戸 (かんべ)。相対式 ホームは やっぱり あがりも さがりも ホームに まちあいしつ あり。
  • 渥美電鉄デホハ1形電車 - Wikipedia
    • 1945年8月14日 モ152は天白変電所付近で米軍機より機銃掃射を受け死者15人、負傷者16人をだす。
  • 愛知)渥美線機銃掃射の慰霊祭 - 戦后70年 - 田原市:朝日新聞デジタル(松永佳伸さん)|2015年8月13日03時00分 〔ついか〕
    • 1945年8月じゅうよっかに愛知県田原市内をはしっとった名鉄渥美線(いまの豊橋鉄道渥美線)の車両がアメリカ軍機から攻撃をうけ、乗客ら15人が死亡してから70年になるのをまえに、げんばちかくの田原市(たはらし)豊島町(としまちょう)で2015年8月12日、慰霊祭がひらかれた。当時をしる関係者ら30人が参加し、犠牲者をいたむとともに、戦争の悲惨さや平和のとうとさをかみしめとった。
    • 列車の同乗者や目撃者などへのききとり調査をすすめる市民グループ「豊川流域研究会」が、70年のふしめにあわせ、「ききとり者のつどい」として慰霊祭をはじめてひらいた。