あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

愛知県下の空襲 - 第2期【名古屋市街地への焼夷弾空襲】1945年3月から1945年5月

〔2015年3月17日におとずれたピースあいちの名古屋空襲展(なごやくうしゅうてん)から〕

第2期【名古屋市街地への焼夷弾空襲(くうしゅう)】1945年3月から1945年5月

アメリカ軍は1945年3月中旬、国民の戦意喪失をねらって、にほんの大都市にたいする「電撃作戦(BLITZ)」を展開しました。

この時期、名古屋は1945年3月12日と19日の二度にわたり、夜間、2,000メートル前后の低高度から、市街地への焼夷弾(しょういだん)爆撃をうけました。

アメリカ軍は、この電撃作戦でマリアナ基地の焼夷弾をつかいはたしてしまい、ほの補給まちのあいだ、ふたたび爆弾による精密爆撃をおこないました。名古屋では、1945年3月にじゅうよっか、三菱重工業大幸工場(だいこうこうじょう)が爆撃されました。この爆撃は、意図的に爆弾を拡散させたため、千種区や東区などの民家に破壊力のつよい爆弾がふりそそぐ結果となり、名古屋市街地にたいする空襲としては最大の犠牲者、死者1,678人がでました。

ほのあと、1945年4月中旬から沖縄支援作戦による1か月の中断があり、1945年5月中旬からB29舞台による爆撃が再開されました。

名古屋市街地は1945年5月じゅうよっか、17日の二度にわたる焼夷弾爆撃によりみわたすかぎりの焦土と化しました。名古屋のシンボルであり、市民からもしたわれた名古屋城天守閣がやけおちたのも、1945年5月じゅうよっかの空襲でした。

20150317 (9) ピースあいち - 第2期名古屋空襲

1945.3.12 - 広小路どおり/1945.3.19 - 大須

恐怖の一夜があけた広小路どおり。みわたすかぎりのやけのはら。余燼(よじん)に太陽のひかりがうしなわれとる。1945年3月12日、写真は中日新聞社提供。(したのパネルのうえの写真)

はげしい空襲をうけて焼失した大須観音付近。本町どおりから七ツ寺(ななつでら)の三重の塔をみる。1945年3月はつか、写真は中日新聞社提供。(したのパネルのしたの写真)

20150317 (12) ピースあいち - 広小路、大須空襲

1945.3.19 - 栄町と名古屋駅

恐怖の一夜があけたあさの栄町。みぎのたてものはにほん銀行名古屋支店。1945年3月19日未明の大空襲。(したのパネルのうえの写真)

焼夷弾をあびてもえる名古屋駅周辺。1945年3月19日の空襲。(したのパネルのしたの写真)

20150317 (6) ピースあいち - 1945.3.19 名古屋空襲

1945.3.24 - 名古屋市東部

焼夷弾でほのおにつつまれる名古屋市東部のまちなみ。1945年3月にじゅうよっか深夜から25日未明にかけての大空襲。このほのおのなかで死者1,678人。中央のしろい長円はアメリカ機の照明弾。中区御幸町(いまの丸の内3丁目)の旧中日新聞社屋うえよりさつえい。

20150317 (3) ピースあいち - 1945.3.24 名古屋空襲

1945.3.25 - 春日井市

春日井市は、豊川市とともに15年戦争のさいごにうまれた都市(1943年6月ついたち)で、ふたつの陸軍工廠(りくぐんこうしょう)(※ 兵器工場のこと)が設置された。おおきな被害のでた空襲は1945年3月25日未明と1945年8月じゅうよっか午后の2回である。

1945年3月25日、名古屋市にある三菱発動機の爆撃に249機のB29が出撃し、ほのうちの2機が春日井市にある鳥居松工場(とりいまつこうじょう)に250キロ通常爆弾を合計30発投下して工場内で26人、周辺の2か所で民間人9人の犠牲がでた。

20150317 (19) ピースあいち - 春日井空襲

名古屋のまちがやけのはらになっていくさまがかなしい。