通勤 途中に 南吉 モニュメントに よった。まどの なかに こんな 文章が あった。
△ 2013-08-12 08:10 南吉 モニュメント 「さて ぼくは・・・」
さて ぼくは 女学校の 先生です。
なんだか ぬくぬくして あるいて いる。
この あいだまで かんじて いた あの 運命的な 素寒貧 (すかんぴん)--あれは どう したと いうのだろう。
こう あっさり 人間は ひとつの 運命から ほかの ぜんぜん ことなった 運命に すみかえられる ものか。
1938年 3月 ここのかの 日記より
◇ ◇
1936年 3月に 東京外国語学校を 卒業してから、喀血 (かっけつ)を わずらっとった ことも あってか、東京の 貿易 商会、河和小学校の 代用 教員、半田の 飼料 会社と、職を 転々と した 南吉も、1938年 3月に 安城高等女学校の 教員となる。この 文章は ほの ときの じぶんの きもちを あらわした ものだ。
「もちろん、安定した 職に つけた ことは うれしい。一方で、これまで つらい 生活を おくって きた ことを おもうと、ほんなに 単純に よろこんで いいのかって いう とまどいも ある」って かんじだっただね。
(さんこう)
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