あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

南吉 童話に こんなのも ~張紅倫~

1週間 まえに とどいた 『別冊 太陽 新美南吉』を はじめて ひらいた。と、童話 『張紅倫』ってのが あった。有名な 『ごんぎつね』や 『てぶくろ かいに』に くらべて へんな 題名の 童話だ。

よんで みた。

張紅倫

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終末に いたる までの あらまし (筆者が はなしを まとめた)

日露 戦争の さなか、にほん軍の 少佐が ふるいどの あなに おちて こまっとった ところを、張魚凱 (ちょう ぎょがい)、張紅倫 (ちょう こうりん) おやこに ひきあげられ 介護される。ところで、むらびとたちが この 少佐を ロシア兵に うらあって いう。と、また、張 おやこが 少佐を にがして くれる。わかれの まぎわ、少佐は お礼に 懐中 時計を 張紅倫 少年に やる。

戦争が おわって 10年も たち、少佐は 都会の 会社の えらいさんに なる。と、ある ひ、会社に やって きた わかい シナ人の 万年筆 うりから、少佐が 万年筆 1本を かう。さりぎわに 万年筆 うりの ポケットに 懐中 時計を みつけ、あの 張紅倫じゃ ないか!って きくも、いや ちがう!と いいはる。

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終末 (『別冊 太陽 新美南吉』に 記載の まま)

その翌日、会社へ、少佐にあてゝ無名の手紙が来ました。あけて見ますと、読みにくい支那語で、
『わたくしは紅倫です。あの古井戸からおすくひしてから、もう十年もすぎました今日(こんにち)、あなたにおあひするなんて、ゆめのやうな気がしました。よく、わたくしをお忘れにならないでゐて下さいました。わたくしの父は昨年死にました。わたくしはあなたとお話がしたい。けれど、お話ししたら、支那人の私に、あなたが古井戸の中から救はれたことが分るとあなたのお名まへにかゝはるでせう。だから、私はあなたにうそをつきました。私は明日は支那へかへることにしてゐたところです。さよなら、おだいじに。さよなら。』 と、だいたい、さういふ意味のことがかいてありました。

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『赤い鳥』 1931年 11月号に けいさい。

日露 戦争が あったのが 1904年から 1905年だで、少佐が 張紅倫と 再会した 10年 あとって いうと、1915年 ごろの ことだ。にほんの 軍人が シナ人に たすけられるってのは、不名誉な ことだった わけだ。シナ人の ほうで ほれを しっとって みを ひいた、ってのにも おどろく。

1931年って いうと、南吉 18才の ときの 作品。ちなみに 支那 事変が はじまるのは 1937年。


(さんこう)

  • 新美南吉:張紅倫
    • (この 童話の ぜんぶが のっとる)
  • 支那事変 - Wikipedia
    • 支那 事変 (しな じへん)とは、1937年から はじまった にほんと 中華民国の あいだで おこなわれた 長期間 かつ 大規模な 戦闘で ある。ただし、両国とも 宣戦 布告を おこなわんかった ため 事変と 称する。

2013-08-02 『別冊 太陽 新美南吉』 2013-08-11 17:10 アピタ 安城南店で 新美南吉 生誕 100年 フェアー