あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

わたしの ふるさと ~高橋さんと 久守さん~

この 1、2年こそ ペースが おちた ものの、1970年から 2010年までの 40年間、年に 2,000人の ペースで 人口が ふえて きた 安城市 (あんじょうし)。もちろん 流入 人口が おおいでだ。ことしの 広報あんじょう 「わたしの ふるさと」で 紹介された 高橋絵美子 (たかはし えみこ)さんと 久守晃子 (ひさもり あきこ)さんも ほんな あたらしい 住民だ。

高橋絵美子さん

わたしの ふるさと (広報あんじょう 2013.6.1 高橋絵美子さん)
△ わたしの ふるさと (広報あんじょう 2013.6.1 高橋絵美子さん)

わたしの ふるさとは、成田空港で 有名な 成田市です。当時、空港内の 飲食店で アルバイトを して おりました。おきゃくさんの おおくが 外国からの 旅行者でしたから、接客は 英語。しらん くにの はなしが ようけ きけて、海外 旅行を した きぶんに なれました。わたしは おかっぱ あたまだったので、「You look like an OKIKU doll.(おきく 人形 みたいね)」って よう いわれました。

まあ ひとつ、成田市と いえば 成田山新勝寺 (なりたさん しんしょうじ)が 有名です。節分会 (せつぶんえ)や 成田祇園祭 (なりた ぎおんさい)の ときは、全国から おおくの 参拝客が おとずれます。わたしも 家族や ともだちと よう あしを はこびました。

安城市に きて 10年に なりますけど、いまでも 成田市が だいすきです。すまいを 美園町 (みそのちょう)に きめたのも、新幹線の 三河安城駅に ちかくて、すぐに かえる ことが できるからなのです。さらに、成田市の マスコット 「うなりくん」も だいすき、実家に おる おとうとから グッズを よう おくって もらってます。安城市の サルビーや きーぼーも かわいいですけど、うなりくんも いいですよ。

久守晃子さん

わたしの ふるさと (広報あんじょう 2013.8.1 久守晃子さん)
△ わたしの ふるさと (広報あんじょう 2013.8.1 久守晃子さん)

8月の あんじょう たなばた まつりが ちかづくと、おもいだすのは ふるさとの 山口七夕ちょうちんまつりです。商店街の アーケードが あか 一色に そまる 光景は、安城とは また ちがう なつの よるの ひととき。家族や ともだちと よう みに いって おりました。

さいきん、安城では 新美南吉の まちづくりが さかんに なって きましたが、山口市は 詩人 中原中也 (なかはら ちゅうや)の 生誕の 地です。市内には 中原中也記念館が あり、記念館を 中心に 湯田温泉 (ゆだ おんせん)の 温泉街が ひろがって おります。温泉街の なかには あしゆが なんかしょか あり、きた ひとが きがるに やすめる ばしょと なって おります。観光客は もちろん、じもとに すむ こどもや おとしよりも 「ちょっと あしゆに」と たちよります。

中原中也は、南吉と おんなじ 時代を いきた 作家で、どちらも 30才 ぐらいで なくなって おります。湯田温泉は 「しろぎつねが まいよ、つかっとった」って いう いわれが あり、まちの いたる ところで きつねの 像を めに します。きつねと いえば、ごんぎつねなど 南吉 作品にも よう でて きますよね。安城の 南吉の まちづくりに、ふるさとを おもいだす このごろです。

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成田から 山口から、全国から 元気な ひとたちが あつまって、安城が なりたっとる。

安城市の 人口の 推移と 推計 (2013.8.5 安城市の ホームページから)
△ 安城市の 人口の 推移と 推計 (2013.8.5 安城市の ホームページから)

(さんこう)