あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

みてきた、都築弥厚特別展

2016年1月16日どようび、あんじょうし歴史博物館に都築弥厚特別展をみてきた。

展示室内さつえい禁止のため、写真はいりぐちのこのふうけいだけ。

20160116_154149 「台地をひらく都築弥厚のゆめ」

午后4時からの展示解説をきいてきただけど、おおざっぱにこんな内容だった。ただし、ききまちがいがあるかもしれんことをおことわりしておく。

  • 都築弥厚の邸宅は本竜寺のにしにあった。きたから3軒ならびに、都築弥厚の邸宅、本家の邸宅、本家の本家の邸宅の順にならんどって、さらにほのにしにも分家の邸宅があった。都築弥厚のいえはたえ、いまもいえがつづいとるのはいちばんにしの分家の邸宅だけ。
  • 中根新田を経営。刈谷藩でかねかしをやったこともある。
  • いえがたえたため、都築弥厚の遺品はすくない。
  • 酒造はちちの代から。江戸にさけをはこんどったこともある。
  • 和楽と号し、俳句作品を多数のこす。石川丈山がすきだった。
  • 1827年、新開用水願書を幕府に提出。弥厚63才。1829年、幕府役人の見分。
  • 1832年、代官による見分。このときは用水もみた。
  • 弥厚の計画は、いまより上流の越戸ダムのへんから取水するものだった。枝下用水と明治用水をあわせたおおきな計画だった。
  • 幕府から許可がでたとしに弥厚なくなる。さあ、借財の返済がたいへん!

(さんこう)