かみさまにささげるおどりをかぐらっていう。そもそもはアマテラスオオミカミがあまのいわどにかくれちゃったときに、ほのまえでおどったアメノウズメノミコトのおどりがはじまりらしいだけど、対馬(つしま)につたわるおんながくらがとだえそうだっていう。
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600年歴史も継承者ひとりだけ - 対馬のおんなかぐら
- 600年以上の歴史があり、長崎県の対馬のあきまつりなどで奉納されるくに選択無形民俗文化財のおんなかぐら「命婦(みょうぶ)のまい」が伝承の危機に直面しとる。
- これまで3人おった「命婦」は現在、長崎県対馬市厳原町(いづはらまち)樫根(かしね)の主婦長瀬寿喜代さん65才のみ。長瀬寿喜代さんやしまの神社関係者らは「歴史ある貴重な文化財をじぶんたちの代でたやすことはできん」って継承者のたんじょうを切望しとる。
△ 対馬で命婦をつとめる長瀬寿喜代さん(よみうり) - 命婦のまいは、中世ごろにつたわったってされ、「命婦」ってよばれるおんながかぐらだいこをたたきながらのりとをとなえ、ほのあと、神職のたいこにあわせてすずをふり、四方をむきながら厳粛にまう。1996年にくに選択無形民俗文化財に指定された。
- 藩政時代は「命婦家」として命婦を世襲するいえがあったほか、島内から命婦を選抜して伝承させてきたってされる。先祖が命婦家だったっていう対馬市豊玉町(とよたまちょう)仁位(にい)の神職、国分文一さん59才によると、古文書には全島からえらばれた8人の「かぐらおとめ」がまいの試験をうけ、命婦としてみとめられたことがしるされとるっていう。
- 現在は資格や試験はなく、希望するおんなが先輩から指導をうけ、それぞれの神社の宮司が承認して命婦となる。戦后は3人が継承し、本人の事情などで引退すればあらたに後継者を養成してきた。近年まで3人を維持してきたけど、きょねん2013年から長瀬寿喜代さんひとりになった。
- 長瀬寿喜代さんは21年まえ、しりあいの神職らから熱心にすすめられ、「じぶんでやくにたてるなら」ってひきうけたっていう。先輩から指導をうけ、以后、まいとし各地の神社でひらかれるまつりにまねかれるようになった。きょねん2013年は長崎県主催の事業で、京都や東京でもまいを披露した。
- ことし2014年は、こんげつ8月下旬から、11月まで島内各地の神社で奉納する予定。「まいをつうじておおくのひとをしり、さまざまなことをまなばせてもらった」って感謝するとともに、「伝承せえとのおもいをもったひとがあらわれてほしい」ってねがっとる。
- 長崎県神社庁対馬支部事務局長の平山静喜・和多都美わたづみ神社宮司56才は「対馬にはいろいろなかぐらがあったけど、いつのまにかとだえちゃった。先人たちが継承してきた命婦のまいのひだけはけしたくない」ってちからをこめる。早稲田大学で日本芸能史をおしえる和田修准教授は「中世のかぐらまいの形式をつたえる対馬独自のまい。いちどとだえると復活するのは困難。ぜひうけついでいってほしい」ってはなす。
- 命婦のまいの伝承などについてのといあわせは、長崎県神社庁対馬支部事務局え。〔でんわ=0920-58-1488〕
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わが古井村(ふるいむら)のこどもかぐらも、なかなかやるこがあつまらんっていう。あわおどりに郡上おどりにカチャーシーにジャズダンスにパラパラにベリーダンス、こいだけおどりのさかんなにほんだもんね。中世のかぐらまいの形式をつたえる対馬独自のまいだっていうこの「命婦のまい」にも、ぜひこれをうけつぐひとがあらわれてほしいもんだ。いでよ、現代のアメノウズメノミコト!
△ アメノウズメノミコトのまい(シャスタの風にのせて)
(さんこう)