あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

見付宿に のこる 明治

磐田駅 (いわたえき)で 電車を おりる。駅は 橋上 駅舎で、かいさつを でた 南北 自由 通路には ジュビロの えが はって ある。駅の 正面で ある きたがわに おりると ちいさな ロータリーが あって、バスが 発着しとる。えきまえらしく、よこの こみちには みず 商売の みせも なんげんか ある。まっすぐ きたに のびるのが ジュビロードで あり、ちょっと いった とこからは 旧 東海道でも ある。旧 東海道 ぞいの 名所 旧跡を みのがしたく ないって ことも あり、あるいて いく ことに。とおりは ひろくて きれいだけど、あんまり あるいとる ひとが おらんのが ちょっと たるい。ちょっと いった とこで みちは ふつうの ひろさに なり、ほんなに きれいでも なく なる。みて きた 地図だと この へんに 国分寺 (こくぶんじ) あとが あるだけどな~って おもって、けんとうを つけて よこみちに はいると、あった、あった。磐田 市役所の すぐ きたがわが ほれだ。ただ たてものが ある わけじゃ なくて、みじかい あおくさの はえた ひろい しきちの ところどころが ちょこっと もりあがっとって、ここに 本堂が ありましたよ~とか、なんとかが ありましたよ~って いう 説明 がきが あるだけだ。な~んだ。また、きたに むけて あるく。駅から ず~っと ゆる~い のぼり 勾配 (こうばい)だった ものが、この へんから みちが くだりに なる。地図を みとった かぎりでは ず~っと きたに むかって のぼって いくと おもっとった だけに 意外だった。しばらく して 国道1号線と 交差。これを よこぎって、また のぼり 勾配に なって、ちょっと いった よつつじで、旧 東海道は みぎ、ひがし 方向に 直角に まがる。こっから しばらくの あいだが 見付宿 (みつけしゅく)に なる。ちなみに、よつつじから ひだり、にし 方向は 姫街道と 表札に あり、まっすぐ きたに むけた みちが いまの なまえで 見付西大通りと あった。

いちばんの 目的だった 旧 見付学校は 見付宿に あるだけど、こいつを あとまわしに して、よつつじを きたに、見付西大通りを すすんで 旧 赤松家を めざす。ここまでで いいかげん あるいて きとる うえに、のぼり 勾配も きつく なるわで、けっこう えらい。まあ この へんまで きて わからんかったら かえらっ、って おもった とこで やっと ほれらしき ところに。

おおーっ!

旧 赤松家 図書蔵 (としょぐら) (2013.9.23 10:49)
△ 旧 赤松家 図書蔵 (としょぐら)

旧 赤松家の しきち内に ある いくつかの たてもんの ひとつが この 図書蔵 (としょぐら)だ。うえに ふたつ ぽこっと でとるのが、あかり とりの ために ある ドーマー まどが おもしろい。まあ、ドーマー まどって いう なまえも おもしろいけど。てまえは レンガ 塀。

門も おおーっ!

旧 赤松家 門 (2013.9.23 10:50)
△ 旧 赤松家 門

むかって ひだりが 門番の ひとが おる とこで、みぎが ともまち (伴待)って いって、この おやしきを おとずれた えらい ひとの おともの ひとが まっとる ばしょだ。

まあ、この ふたつ だけでも じゅうぶんに おどろきなだけど、さらに なかに はいって いろんな たてものを みて、はなしを きく。

これを つくったのは 赤松則良 (あかまつ のりよし)って ひとで、海軍 中将 (かいぐん ちゅうじょう)にまで なった ひとだ。ここ 見付の 地で 茶園を ひらいたり、退役した あとに すんだり したげな。幕末、咸臨丸 (かんりんまる)に のって アメリカに いったり、明治に なっては オランダに 留学したりも しとる。この ひとを 初代と して、2代めの ひとが 実業家を やって、3代めの ひとが 初代 磐田 市長を やっとるって いう 名家だ。

きた みちを ひきかえすのも くやしく、見付西大通りと 1本 ひがしに 平行する うらみちを とおって、よつつじの へんまで もどって、旧 東海道を ひがしに すすむ。旧 東海道って いっても、ここ 見付は いまでも 磐田市の 中心地で あり、みちは ひろく ひろげられて、歩道なんか かなりの はばが ある。電柱は みあたらず しゃれた 街路灯が つづき、ジュビロの はたが なびく。もちろん まちなみも むかしながらの たてもんが のこっとるって いう わけじゃ なくて、ちょっと おくまった あたりに 宿場町の ふぜいが のこっとるかなって かんじだ。みちは ひがしに むかって またも のぼり 勾配で、宿場町の まんなかへんまで いった ひだり おくに、旧 見付学校を み~つけ。

でっかー!

旧 見付学校 (2013.9.23 11:59)
△ 旧 見付学校

いしがきの うえに 校舎 部分が 3層の、また ほの うえに 展望台 部分が 2層の ぜんぶで 5階 だてだ。これが 明治の はじめに 義務 教育が はじまった ときに、見付の ひとたちが つくった 小学校だったって いうで、いかに きあいが はいっとったかが わかる。

説明 がきに こう ある。

旧 見付学校 説明 がき (2013.9.23 12:00)
△ 旧 見付学校 説明 がき

史跡 旧 見付学校

旧 見付学校は 、学制 発布后 まもない 1875年に 落成した 現存する にほん 最古の 洋風 木造 小学校 校舎です。当初は 4階 だてでしたが、1883年に 増築されて いまの 5階 だてと なりました。
記録に よると 1881年の 見付学校の 生徒数は おとこ 300名、おんな 182名の 482名で、就学率は 66パーセントでした。
この たてものは 1922年まで 小学校と して、ほの あとは 中学校、裁縫 女学校、教員 養成所、病院などと して 使用されました。現在は 学校 関係の 資料 などが 展示されて おります。

なかに はいって、木造 校舎の あったかみを かんじたり、教室に おいて あった きの つくえと きの いすを なつかしんだり、5階の 展望台まで あがって ちょっと あしを すくませたり した。

この ほかに いったのは、見付宿 いちばん ひがしに ある、矢奈比売神社 (やなひめ じんじゃ)と 愛宕山 (あたごやま)の 一里塚 (いちりづか)。りょうほうとも けっこうな やま のぼり、階段 のぼりだった。地名の いわれと して、東海道を 京から 江戸に くだる とき、はじめて 富士山が みえるのが ここだったで 「みつけ」に なったって いう ことで、ひがしに めを こらして みたけど みえんかった。まあ、天気も はれわたっとった わけじゃ ないでね。

すっかり 体力を つかいはたした とこで、見付学校 バス停に ちょうど やって きた 路線 バスに のって、磐田駅まで もどった。乗客は じぶんを ふくめて のべ ふたり。料金は 170円。

2か所 だけとは いえ、それぞれに すばらしい 明治だった。


(さんこう)