あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

八重の桜 〔7月 じゅうよっか〕

八重の桜 (やえの さくら) ロゴ

あらすじ

いよいよ 攻撃を つよめる 新 政府軍。若松城に こもって 応戦する 会津軍。

テレビの ばめんと 人物の 説明

2013-07-14 20.10 照姫 (稲森いずみさん)
2013-07-14 20.12 照姫 (稲森いずみさん)
2013-07-14 照姫 (稲森いずみさん)
20:10 (うえ)20:12 (した)
照姫 (てるひめ) (稲森いずみさん)
容保と おなじく 養女で、3才 としうえの 義理の おねえさん。
10代に して はやくも 書道、茶道、礼法、香道に つうじ、とくに 和歌や ことを このんだ。容保にも 和歌の てほどきを するなど、義理の おとうとを 献身的に せわした。
照姫 18才の とき、豊前 中津藩の 奥平昌服に こしいれ、23才で 離縁するが、ほの 理由は 不明。
2013-07-14 20.14 八重 (綾瀬はるかさん)
2013-07-14 20.21 八重 (綾瀬はるかさん)
2013-07-14 八重 (綾瀬はるかさん)
20:14 (うえ)20:21 (した)
山本八重 (やまもと やえ) (綾瀬はるかさん)
会津藩の 砲術 師範 山本権八、佐久 夫妻の こと して うまれる。
会津 戦争の ときには 断髪、男装し、会津城 籠城戦で 最新銃 スペンサー銃を てに 奮戦した ことから、のちに 「幕末の ジャンヌ ダルク」と よばれる。
但馬 出石藩 (いまの 兵庫県 豊岡市) 出身で 会津藩校 日新館の 教授を つとめる 川崎尚之助と 結婚したが、のちに わかれる。
戦後、京都府 顧問と して かつやくしとった あに 覚馬を たより 京都に。ほこで 同志社大学 創立者と なる 新島襄と 運命的な であいを はたし、結婚。
おんなは おとこに したがう ことが 当然視された 時代、豪放で 周囲からは かって きままに みえる 八重の いきかたは 世間から 「天下の 悪妻」と いわれる。
2013-07-14 20.22 松平容保 (綾野剛さん)
2013-07-14 20:22 松平容保 (綾野剛さん)
松平容保 (まつだいら かたもり) (綾野剛さん)
まえの 藩主 松平容敬の 養子。
1862年、京都守護職を 拝命。また、藩祖 保科正之が 制定した 会津藩の 憲法とも いうべき 「家訓」には だれよりも 忠実。「いまは 義の おもさを とって、将来の 得失を 論ぜず 京都を 死所と しよまい」と 君臣 一致の 覚悟で 京都に のりこむ。
会津 だましいを 象徴する 存在と して、藩士 ばかりで なく 領民たちからも 尊敬を あつめる。しかし、あくまでも 「至誠」を つらぬく 清廉さが、会津藩に 悲劇を もたらす ことに なる。
2013-07-14 20.39 日向ユキ (剛力彩芽さん)
2013-07-14 20:39 日向ユキ (剛力彩芽さん)
日向ユキ (ひなた ゆき) (剛力彩芽さん)
八重が かわいがった むっつ とししたの おさななじみで、たがいの いえは かきねを へだてた 隣人 同士。ユキの 実母 ちかは 3才の ときに なくなる。
会津 戦争の とき、入城できず、祖母や ままはは、おさない おとうとや いもうとと ともに 弾丸の したを くぐりぬけ、郊外の 農家の いえに 世話に なり、転々と する。新 政府軍の めを ぬすみ、戦死した ちちと あにの 遺体を 城下で さがしだす。
戦後、一家で 青森の 斗南に うつり 辛酸を なめたが、のちに 北海道に わたり、薩摩 出身の 開拓使 内藤兼備と 結婚、以降 会津には 二度と もどらんかった。
1887年、北海道に 伝道に きた 八重と 20年 ぶりの 再会を はたす。