吉良(きら)には3人の有名人がおる。忠臣蔵ではかたきやくだけどぢもとでは善政をおこなったことでしられる吉良上野介(きらこうづけのすけ)、幕末の侠客(きょうかく)としてなをはせた吉良の仁吉(きらのにきち)、小説『人生劇場』で一世をふうびした尾崎士郎(おざきしろう)の3人だ。きょうは、ほのうちのひとり尾崎士郎をしのぶ遺品などの展示してある尾崎士郎記念館ってとこを見学してきただけど、ついでにみてきたとなりの旧糟谷邸っていうたてもんもなかなかのもんだったよ。
ながやもん
たちがたかいのがとくちょうとのこと。やねはほんがわらぶきで、のきがわらにはみつどもえの家紋がはいっとる。「糟谷家は江戸時代をとおしてこの地方のおおぢぬしとして、また三河木綿の江戸おくり総問屋としてさかえました。この地は江戸時代には大河内松平家大多喜藩の所領でしたけど、糟谷家は代々ほの御用達頭取として名字帯刀をゆるされておりました」だげな。
おもや
かざりっけのない、ほねぶとの堂々たるたてもんだ。こころをうつ。
しつない
室内はいくへやあることか。玄関の土間からおくの仏間まで、なんかいふすまをあけしめせにゃいかんことか。これはおもてがわで、さらにうらがわにも居間やらおくさまのへややらいっぱいへやがあるし、仏間のうらや土間のみぎてにもいっぱいへやがある。
どぞう
おもやのうらに土蔵がふたむね。
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愛知県指定文化財 - 1985年7月12日指定
糟谷家は代々縫右衛門(ぬいえもん)をなのり、当地きってのおおぢぬしとして、三河木綿問屋、金融業、肥料・日用雑貨の卸小売などで財をなした豪農豪商である。江戸時代には、領主大河内松平家大多喜藩(おおたきはん)の御用達(ごようたし)をつとめ、名字帯刀をゆるされとった。おもや、ながやもん、どぞう2棟、屋敷神が愛知県指定文化財になっとる。おもやのひがしがわ部分がもっともふるく、1763年の祈祷札がいつかっており、18世紀中期以前にさかのぼるってみられる。また大多喜藩小牧陣屋から移築されたっていわれるながやもん、明治初年に茶道久田流の久田栄甫設計による数寄屋部・庭園など、富裕階層の生活ぶりをうかがうことができる貴重なやしきである。
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うん、みなさんもいっかいいってみて損はないよ。
(さんこう)
- 吉良の旧糟谷邸にきた。|いわせあきひこ|フェースブック|2015年5月4日 15:05
- 長屋門のまえで記念さつえい♪
- 長屋門のまえで記念さつえい♪