あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

デボさんが かたる 松浦武四郎 (松阪ベルネット 07)

デボさんが かたる 松浦武四郎

(※ 過去 日記)

デボさん
デボさん

1 月 27 日、松阪へ いき、秋辺日出男さん=愛称 デボさんの 講演会を きいて きました。幕末の 蝦夷地 探検家 松浦武四郎の 生誕 190 年を 記念して、出身地である 松阪市アイヌで ある デボさんを 北海道 阿寒より おまねきして 実現した ものです。場所は、近鉄 伊勢中川駅より 4 キロほど ひがし、旧 三雲町 エリアに ある 松浦武四郎記念館で 開催されました。

講演の まえ、チラシに デボさんの 写真が のってましたが、まさか 日本人だとは おもいませんでした。アイヌと いっても 和人よりも ちょっとだけ エキゾチックな かおだちなんだろう、くらいにしか おもってませんでした。ドイツ人、って いっても 通用しそうですよね。登場後の 実際の デボさんを みても、写真の とおりの 長髪、ヒゲもじゃ、ほりの ふかい かおだちで、シャツの そでからも 体毛が 垣間 (かいま)みえます。

差別発言を しとる ように おもわれるかも しれませんが、そうでは なく、自分が もっとる アイヌも ふくめた 日本人の 容貌に ついての イメージが いかに 狭小な もので あるかと いう ことを おもいしらされたと いう ことです。

講演は、和人と アイヌの 歴史から はじまりましたが、ごくごく 簡単に ご紹介します。

江戸 時代の 途中まで、北海道 東部には 松前藩の 統治が およんでなかったが、飛騨屋久兵衛の 登場に より その 支配下と なる。1789 年、これに 反発し 和人 43 人を 殺害した アイヌ 37 人が 斬首刑と なる (クナシリ・メナシの たたかい)。
この ように アイヌが しいたげられた 時代 背景の なかで 松浦武四郎が 登場し、幕末期の 蝦夷地 調査を おこなうが、その かんがえかたが アイヌ よりで あるとの ことで 失職。
武四郎は アイヌの たちばからの 「旧土人法」 制定を かんがえとったが、結局 アイヌの 和人への 同化を 目的と する ものへと 変質し 1899 年に 公布される。
これに より、アイヌ語アイヌの 習俗も 禁止される。

デボさんの 講演では、おれの 期待する アイヌ語の 復活に ついての 言及は ありませんでしたが、自身、日本語で 思考して いるが、まぎれも なく アイヌ人で ある、との こと。現在、古典と 新作を ふくめた ユーカラ (ユカラ) 劇の 講演 活動を 通じた アイヌ 文化の 復興に つくして おられます。

講演の 最後、イオマンテに ついての はなしが 印象に のこってます。中川裕 著 「アイヌ語をフィールドワークする」の 記述からも 補完して 説明します。

イオマンテは 分解すると 「イ」 プラス 「オマンテ」であり、「(だれだれ)を + おくる」と いう 意味で ある。一般的には 「クマ おくり」が 有名だが、キツネや タヌキなどでも おこない、それらは すべて 神=カムイで ある。「おくる」とは、神の世界=カムイモシリへ おくる ことで ある。

親グマ なき あとの 仔グマを 1年から 2年 いえで そだてる。食事の ときも まっさきに いちばん いい ところを 仔グマに たべさせ、そのあと 家族が 食事する。それほど 大事に する。

イオマンテの ひ、酒、干し鮭、団子などの ご馳走を みやげに もたせ、きれいな 着物で 盛装させ、うたや おどりや ユカラなど、送別の うたげを とりおこなう。

その あと、クマは 肉や 毛皮を とられ、アイヌに みおくられ カムイモシリに もどる。

大事に 飼育した クマから、感謝の 念を こめて、必要と する 肉や 毛皮を とり、クマ=カムイの ふるさと カムイモシリへと みおくる 儀式が イオマンテでした。

くま
くま

デボさんも 動物 (※ なんだったか ききのがしちゃいました)を 屠殺(とさつ)した 経験が あるそうです。かわいい 動物の くびを きり、皮を はぐのは たしかに かわいそうには ちがいないが、それが 人間なんだと。

おれも 肉を たべては うまいと いい、毛皮の 製品を つかう ことも ありますが、屠殺して くれる ひとが いて くれて こそですね。

(参考) ピヤラ アイヌ民族の今 北海道新聞 〔※ まあはい リンク ぎれ〕

ほんとに うれしそうに 阿寒の ことを おはなしに なる 記念館の 館長さん、記念館の 場所を たずねたら にこやかに 応対して いただいた 職員の おねえさん、そのほか 関係の みなさんの おかげで、たのしく 有意義な 講演を きかせて いただく ことが でき、ありがとう ございました。

(松阪ベルネット|2008年 2月 ついたち きんようび 00:26)

あきひこさん、こんばんは
分かりやすくまとめていただき、ありがとうございました。

知らなかったことがたくさんありました。

私は今まで、武四郎はアイヌの支配に加担したと聞いていましたが、考え方がアイヌよりであったと知ってホッとしました。

北海道新聞の記事も拝見しました。
デボさんが47歳と知ってびっくりです。

(ゆうちゃん)

ゆうちゃん こんばんわ。

おれも、デボさん 47 才って きいた とき びっくりしたよ。
わっか!って (^_^;)。

武四郎は 6 回も 北海道探検に いっとるけど、全部が 幕府の 命を うけた ものでは なく、アイヌに みかたする かんがえかたを もつため、途中から 幕府に うとまれ 自費での 探検に なった ようだ。

館長さんが 熱心な ことは 日記にも かいたけど、聴講者も 満席で みなさん とっても 熱心だった。

これから 松阪と 北海道との 交流が ますます さかんに なる ことを おいのりします (^_^)。

(あきひこ)

北海道旅行は一昨年と去年と行っています。
今年は紅葉の季節に行く予定ですが、どこに行っても松浦武四郎の何かがあります。 そんなつながりがなんだか嬉しいんです~^^
詳しいお話をここで知ることができてよかったです。
ありがとうございました。

(くるりんさん)

くるりんさん こんにちわ。
ことしも また、北海道に いかれるなんて うらやましいです(笑)。武四郎は あまねく 北海道を 探査しとるんですね。
講演会は ほんとに みなさん 熱心で よかったです。まだまだ 武四郎の 記念イベントは たくさん ある みたいだから、また 機会が あったら いきたいですね。
くるりんさんの 北海道情報、また たのしみに してます(笑)。

(あきひこ)

(さんこう)