きょねんのことだけど、ひがしべついんでやっとったげんばくとせんそうてんで「1950ねん8がつむいかへいわたいかい」のしりょうをみた。
(2022ねん8がつここのかほうもん)
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とうげがかんきをもってきょうかんした
1950ねん8がつむいかへいわたいかいじゆうとこうふくをめざすじんみんのたたかいのなかにしじんのよろこび
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- 『われらのし』8ごう「へいわのためのせんげん」(ばっすい)
いまやへいわへのたたかいなくして、われわれのげいじゅつてきそうぞうはありえぬときがきた。われわれはひろしまのしじんとしてちかによこたわるこえなきこえをいかして、かせられたせきむをはたすためにげんしへいきのぜったいきんしをせかいにむかってようきゅうし、それをきていづけるすとっくほるむへいわたいかいのよびかけをぜんめんてきにしじする。またせんそうにはんたいするすべてのしじんとむすび、かっこくのしんぽてきなみんしゅだんたいのたいれつにくわわり、へいわようごのはたのもとにぜんりょくをあげてへいわへのたたかいにたちあがることをせんげんする。じゆうとこうふくをめざすじんみんのたたかいのなかで、われわれはさらにつよくしじんとしてのよろこびをみいだすであろう。
(とうげさんきち - 1950ねん8がつみっか)◇ ◇
- 『へいわせんせん』7ごうについて
げんしばくだんをうけたひろしまのしゃしんを、にほんでさいしょにいちめんぜんしでたいしゅうにこうかい、だいせんでんした『へいわせんせん』7ごう。(「はちがつむいか」は)このしんぶんのためかきおろしのはんせんかです。ひろしましみんののどにつかえとるほんね「げんばくきんし」「ひばくしゃしんのこうかい」のため「へいわせんせん」へんしゅうぶはたちあがった。「ひばくしのひさんさをあばき、げんしへいきのはいき」をせかいにむかってさけびうったえるのはひろしまのしみん。わたしもとうげもひばくしゃ。とうげくんがひろしまのくなんといかりをそのままほんみょうでぶっつけたのがこのしです。
(もと『へいわせんせん』へんしゅうはっこうにんおおむらひでゆき)◇ ◇
- 『とうげさんきちのし』ばっすい
1950ねん8がつむいかのぶそうけいかんにとりかこまれただい1かいのへいわたいかいがとうげのしかつどうをぜんしんさせるすてっぷとなった。- このときからとうげのしはこっかくたくましいものとなっていった。かれのしはげんばくのひさんさ、ひにんげんさのついきゅうのみちゆきで、しだいにげんばくとうかしゃをはげしくひなんし、それだけでなく、げんばくとうかしゃのがわへくにとこくみんとをうりわたしたものをはげしくするどくひなんし、まやかしのへいわうんどうやへいわのよそおいのかめんをひきはいでいった。そのようなかれが、こころからのかんきをもってきょうかんし、そこにへいわのまごうことのないしんらいできるちからをみたのが1950ねんのだい1かい8・6へいわたいかいであった。
(ちょうしゅうしんぶんしゅかんふくだまさよし - ちょうしゅうしんぶん1963ねん)
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とうじのげんばくにたいするいかりのこえがきこえてくる。