きょねんのことだけど、ひがしべついんでやっとったげんばくとせんそうてんで、「せんごはじめてげんばくのざんぎゃくさをこうぜんとはっぴょうした『へいわせんせん』」ってしりょうをみた。はいせんごはげんばくのさんじょうをこうひょうすることはきんしされとっただげな。
(2022ねん8がつここのかほうもん)
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せんごはじめてげんばくのざんぎゃくさを
こうぜんとはっぴょうしたへいわせんせん1962ねんちょうしゅうしんぶんけいさい
「ひろしまとながさき」ばっすい
ふくだまさよしさん
- はいせんごはげんばくのさんじょうをこうひょうすることはきんしされとった
とうげさんきちのこのし(「はちがつむいか」)は、ひろしまのあかはたちゅうごくそうきょくがはっこうしとったしんぶん「へいわせんせん」のとくしゅうごうにのせられたもので、このとき、にほんではじめてげんばくのざんぎゃくさが6まいのしゃしんぐらふによってこうぜんとはっぴょうされ、とうげさんきちのしはこのぐらふにくみこまれたものである。1950ねん6がつここのかづけである。これとどうじに、このしんぶんは「しないはっちょうぼりよこにけいじされた『げんばくのさんじょう』のしゃしんてんは、にくしんをなくしたしみんによってまいにちくろやまのように「ひとをあつめとる」と、げんばくしゃしんてんがはじめてがいとうでもたれたこともほうじとる。また「へいわしょめいはひろしまぞうぜん、ぜんてい、ひろしまでんてつをはじめろうそせいねんぶをちゅうしんにおおきくひろがり、28にちすでに1めんめいをこえとる。5がつ28にちのけんろうそうかいでは8がつむいかをはんせんとうそうでーにけってい、けんかろうそをちゅうしんにみんしゅだんたいによびかけ、へいわようごじんみんたいかいがちゃくちゃくじゅんびされとる」こと、さらにやまぐち、おかやま、とっとりなどでも8がつここのかにへいわたいかいをひらくじゅんびがすすめられとることをほうどうしとる。- はいきょのあとに、くるしいさいけんをつづけとるいきのこったひとびとのなかには、げんばくへのいかりがうずまいとった。かたってもかたってもかたりつくせんものがむねのなかにあふれとった。1948ねんごろ、わたしたちは、ひろしまのまちのなかで、まるでしらんだれにでもげんばくのことではなしかけると、いそがしいしごとをわすれて、はてしもなく、とうじのもようをはなしこんでくるというじじつにれいがいのないことをしらされるのにじかんはかからんかった。
- しかし、ひょうめんは、それはなんにもあらわれんかった。「ひろしまはへいわさいけんにいそしんとる」といったちょうしのますこみにおおわれとったのである。
- 「にほんぐんばつのむぼうなせんそうにしゅうしふをうち、ほんどしょうどさくせんからいくせんまんにほんこくみんのせいめいをすくうためにやむをえぬしゅだんとしてげんばくはとうかされた」というせんでんが、ひろしまをそらのうえからおさえつけてまかりとおっとったのである。そして、「のーもあひろしま」というのが「にほんじんははんざいをくりかえしてはならん」というひびきでおしつけられ、それがあめりかせいのきょうかいにむすびつけられてゆくというてじゅんであった。
- しかし、なぜかくもむごたらしいへいきでおやきょうだいやさいしをぎゃくさつせにゃならんか、というひろしまのしみんたちのいかりをごまかしきるわけにはいかんのである。じんるいしじょうかつてないざんぎゃくさでたいりょうのむこのじんみんをころしじごくえをげんしゅつしたというじじつをかきけすことはできんし、それをせっとくすることはできんのである。ひろしまのしみんたちはせんりょうぐんとしてはいってきたあめりかへいたちを、げんばくとうかしゃであることときりはなしてみるわけにはいかんかったのである。
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「げんばくへのいかり」「かくもむごたらしいへいきでおやきょうだいやさいしをぎゃくさつ」「じんるいしじょうかつてないざんぎゃくさでたいりょうのむこのじんみんをころしじごくえをげんしゅつした」
あめりかはにほんにあやまらにゃいかんぞ。