スコットランドはイギリスから離脱せんかったけど、イギリスはEUから離脱することをきめた。おとつい2016年6月23日の国民投票のけっか、離脱が52、残留が48ってなっただ。
いや~、接戦になるだらあっていう予想はあったけど、けっきょく残留がちょこっとうわまわるっていうすじがきだったっておもうだけどね。ヨーロッパっていうほんなにひろくない区域ではあるけど、ほんなかでここまでそだってきた統一経済圏がくずれちゃうのは、あんまりよくないことじゃないかな。
EUの歴史
1958年、ベネルクス3国とにしドイツ、フランス、イタリアでEU結成。
1973年、イギリスはじめ3か国が加入。
1981年、ギリシャが加入。
1986年、スペイン、ポルトガルが加入。
1990年、東西ドイツ統一でひがしドイツ地域も圏内に。
1995年、オーストリアはじめ3か国が加入。
2004年、ポーランド、チェコなど10か国が加入。
2007年、ブルガリア、ルーマニアが加入。
2013年、クロアチアが加入。
(さんこう)
- イギリス、EU離脱へ - 国民投票でBBCなど報道:日本経済新聞(ヨーロッパ総局)|2016/6/24 12:44
- EU離脱か残留か、イギリスはどうなる?にほんへのえいきょうは(吉川慧さん)|The Huffington Post|2016年06月17日10時13分
- イギリス、南北で はんらんが - あきひこのいいたいほうだい|2014/02/19
- イギリスのEC加盟|世界史用語解説 - 授業と学習のヒント
- イギリスのヨーロッパ共同体、EC加盟はフランスなどの反対で拒否されていたが、1973年、オイルショック后の世界経済が変化したことによって加盟が実現した。
- イギリスは1957年に結成されたEECに加盟せず、1960年にはそれに対抗してEFTAを結成するなど、独自路線を歩んだ。しかし、EFTAは工業力でEECに対抗できず、イギリスは輸入超過に悩み、経済不振に陥った。そこで保守党のマクミラン内閣は方針を転換して1963年にEEC加盟を申請したが、フランスのド=ゴールはイギリスの背后にあるアメリカ経済の影響力が強まることなどからそれに反対し、イギリス加盟は失敗した。
- 加盟実現の背景
次いで労働党の第1次ウィルソン内閣は1967年にポンドを切り下げて貿易収支の改善を図ったがなお事態は改善されなかった。1971年のドル=ショックでアメリカ経済の後退がはっきりしたこと、さらに1973年にオイル=ショックが起こり欧州経済統合の拡大に迫られたことなどから、同年、ようやくイギリスの保守党のヒース内閣の時、ヨーロッパ共同体、EC加盟が実現、拡大ECと言われるようになった。1975年に労働党の第2次ウィルソン内閣はEC残留かどうかを国民投票に問い、残留が承認された。 - その后の保守党のサッチャー政権はEC統合の強化には消極的で、通貨統合には反対し、イギリスは統一通貨ユーロを導入せず、通貨はポンドをそのまま使用している。