(にっけいのきじから)
とうどりはアイデアマン - 「金融むら」のかべやぶる
「ワンコインで優先します」。2015年4月末、大垣市(おおがきし)に本店をおくOK銀行で金融業界では異例のサービスがはじまった。まどぐちの混雑時に500円しはらや、整理券の順番をとばして優先的にてつづきができる。発案者はとうどりの土屋嶢(つちやたかし)68才。一部の発展途上国の入国審査であるとされる「そでのした」からヒントをえたっていう。「時間をかってもらう。列車の特急料金とおんなじだよ」
- 店舗をコンビニ風に
365日年中無休のATM、ドライブスルーがた店舗、コンビニ風の店舗……。土屋嶢はなにごとも画一的で「お役所」って評されることがおおい銀行の常識にあらがってきた。OK銀行がうみだしてきた「全国はつ」のほとんどは土屋嶢の発案。「ぼくたちは銀行業ではなくサービス業」。土屋嶢のくちぐせだ。 - 斬新な発想の原点は1993年のとうどり就任時にある。行員らに「これからの銀行業に必要なことはなんだらあか」ってとうと、意外なこたえがかえってきた。「銀行名をかえてください」。知名度がひくいでおもうように顧客を開拓できんっていうだ。土屋嶢は「全国で注目されるサービスをどんどんうちださあ」ってきめた。
- だけど、土屋嶢のかんがえは「金融むら」から理解されんかった。ATMを365日年中無休でつかえるようにした1994年のこと。「土日でなくきんようびにおかねをひきだしてもらやいいじゃないの」。全国の地方銀行トップのあつまりで集中砲火をあびた。ほかの地銀はサービス競争にまきこまれ、管理コストがふくらむことをいやがっただ。
- 全国最年少のとうどりについたばかりの土屋嶢は、かたをおとしてぢもとにもどったけど、ある光景にこおどりした。にちようびに高令の女性がATMの画面を操作しとった。「じぶんたちはまちがってない」。利用者視点のたいせつさを痛感した瞬間だった。ほのあと、いくつかの銀行がOK銀行に追随した。
- 実は土屋嶢はバンカー一族だ。祖父もちちもOK銀行のとうどりをつとめ、自身も大卒后に富士銀行*1に籍をおいた。ちちは記者から銀行に転じた異色の経営者。当時の大蔵省に反対されながらも17階だての本店を建設した。岐阜県内のライバル、十六銀行の「16」をこえる意志をこめたってされる。「おやゆずりの反骨精神はあるだらあね」。土屋嶢はにやりってわらう。
- 女子行員でアイドルユニット結成
土屋嶢は対立をこのんどるわけじゃない。ふつふつとわきあがるかんがえをかたちにしとるだけだ。ほれが地方経済を振興する土壌をはぐくむっていう確信もある。 - 「OKB45」。土屋嶢がプロデューサーとなり、女性行員で結成したアイドルグループだ。デビューは2年まえ。OKBはOK銀行の略称だ。メンバーのひとりは「OKBに対する注目をつよくかんじるようになりました」ってはなす。けっしてわるふざけじゃない。土屋嶢はおおまじめだ。OKB45を自行の広告塔にするだけじゃなく、マラソン大会などかずかずのもよおしに派遣して、ぢもとにおおくのひとをよびこむ効果をねらっとる。
- 2012年に導入したてのひらの静脈認証で現金をだしいれできるATMも地域振興のきりふだにする。ひがしにほん地震で通帳やキャッシュカードをうしなった被災者の窮状をみて開発した。土屋嶢はこの全国はつの技術を「てのひら決済」に発展させる構想をあっためる。これをまっさきにぢもと商店街に導入せやあ、全国から注目をあびて観光客や視察団をひきよせれるってかんがえとるだ。行員と商店街の店主らとの検討もはじまった。
- 「トライアル・アンド・エラー(挑戦と失敗)」。土屋嶢はじぶんだけでなく行員にも、いつも大胆に挑戦することをもとめとる。ミスがゆるされん銀行では異色の教育方針だ。わかて行員を集める「模擬役員会」や、ホテルやマスコミなど異業種に派遣する研修もながくつづけてきた。「みずからかんがえていごく行員が確実にふえてきた」と、この20年あまりで意識改革はすすんどるって実感しとる。
- 地方経済が地盤沈下し、再編機運がたかまっとる地銀業界のなかでも、OK銀行の業績は堅調だ。2015年3月期のかしだしきん残高はまえの期比6%増、預金残高も3%ふえた。再編のいごきとも一線を画しとる。
- だけど、土屋嶢はいつも貪欲だ。
- 「もしかしたら20年后、みなさんは店頭でやさいやさかなをうっとるかもしれん」。2015年4月ついたち、本店でひらかれた入行式で土屋嶢は新入行員140人をまえにほんな訓示をした。「銀行員にはなるな」っていう土屋嶢流のメッセージだ。「銀行っていうわくにはまらん、ほかの業種とも競争できる企業体をつくる」。土屋嶢のめにはつぎの段階がうつっとる。
(敬称略)