あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

尾西繊維協会ビル

風格があって歴史をかんじさせるたてものがとりこわされえとしとる。 

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(ちゅうにちの記事から)

  • 昭和初期に建造され、一宮市の繊維産業の繁栄を象徴する尾西繊維協会ビルが、存続の岐路にたつ。ながねん入居してきた繊維関連団体の事務所が、ちかくに新設される一宮商工会議所会館に移転するためだ。このままかりてがみつからんと、らいねん2015年のあきごろには、地域の「ランドマーク」は80年あまりですがたをけす。装飾にすぐれ、ノスタルジーをかんじさせる洋館だけに、市民からおしむこえもきかれる。
  • たてものは、1933年に建造された鉄筋コンクリートの3階だて。建設時、こうした近代建築のつくりは、現在の一宮市旧庁舎などごくわずかしかなかった。1945年7月の一宮空襲(いちのみやくうしゅう)で市街地一帯がやけのはらになったときも、のこったかずすくないたてもののひとつだった。
    尾西繊維協会ビル(ちゅうにち)
  • しろいアーチまどとちゃいろのタイルばりの外壁、天井やかべにははながらなどの装飾がほどこされとる。建設されたころ、けおりものの服地の需要が急増し、繊維業界が急速に発展をとげた。業界のいきおいは外観の豪華さにもあらわれとる。
  • 和洋文化が融合する「昭和モダン」の時代をかんじさせ、最近ではコスプレ愛好家たちのさつえい地にもなっとる。
  • ただ、一宮商工会議所がらいねん2015年のあきごろをめどに、たてものちかくにあたらしい会館を建設。これにともない、入居する尾西毛織工業協同組合など10の団体、企業の事務所も移転または廃止することになった。
  • のこされるたてものについて、尾西繊維協会の早川隆雄理事長は「レトロでおもしろいつくりだけど、繊維の組織を存続していくうえで経費はかけれず、条件があわにゃとりこわすしかない」ってはなす。
  • 尾西繊維協会の内部でものこしたほうがいいっていうこえもあり、かりてをさがしとるけど難航しとる。みつからにゃ駐車場になるみとおしだ。
  • 終戦まもない1946年、昭和天皇一宮市を視察したさいにすわったひとりがけの装飾いすが、尾西繊維協会ビルの倉庫に保管されとる。
    天皇陛下のいす(ちゅうにち)
  • 尾西毛織工業協同組合の90年史「毛織のメッカ尾州 - 尾西毛織工業90年のあゆみ」によると、昭和天皇は愛知県と岐阜県を巡幸した1946年10月、一宮中学校(いまの一宮高校)や一宮市役所などをおとずれた。当時、愛知県毛織物工業統制組合尾西支所だったこのビルにもたちより、けおり産地の復興ぶりをみたっていう。
  • いまものこる昭和天皇がすわったいすは、金華山おりのきらびやかなもようにおおわれとるけど、ぬのじは半世紀のあいだに劣化がすすんどる。
  • ビルのとりこわしがきまったばあい、うつして保管するばしょがないため、尾西繊維協会は、公的な団体を中心にひきとりてをさがしとる。
(ねたもと)
中日新聞:繊維協会ビル解体危機 - 一宮・1933年築の洋館:愛知(CHUNICHI Web)(安福晋一郎さん)|2014年6月19日 〔※ まあはいリンクぎれ〕

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かりてがみつかることをいのりたいね。

尾西繊維協会ビル - 位置図