あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

築山和一 - 初代あんじょう町長

初代あんじょう村長のことはまえにかいた。あんじょうえきを誘致した稲垣半十(いながきはんじゅう)だ。ながくあんじょう町長をつとめたひとのこともまえにかいた。農都あんじょうをつくりあげた岡田菊次郎(おかだきくじろう)だ。ほいで、こんかい紹介するのが、初代あんじょう町長となった築山和一(つきやまわいち)だ。

あんじょうの偉人 (9) 築山和一
△ あんじょうの偉人 (9) 築山和一

あんじょうの偉人 (9) 築山和一
~在留邦人を支援した活動家~

  • 1890年ごろ、愛知県出身者で、移民や留学などのためにアメリカにわたるひとびとが増加します。ほのひとたちを支援しとったのがあんじょう出身の築山和一です。
  • 1865年、あんじょうむら西尾にうまれた和一は、おさないころから学業にひいで、漢学、医学をおさめ、大学予備門卒業后、アメリカにわたりました。
  • 和一はカリフォルニア大学バークレー校に留学中、サクラメントの農園ではたらいとった海部郡(あまぐん)八開(はちかい)*1出身の山田芳男としりあいますけど、このであいが、のちのアメリカ渡航者支援のきっかけになります。
  • 1889年、山田芳男の勧誘によりあんじょうむら出身者3人がアメリカにわたります。当時、旅券発行にはかなり厳格な審査があり、たびの目的や滞在ばしょの記載だけでなく、渡航費用や滞在費用の捻出計画と、ほの計画が妥当であることをしめす財産証明を添付する必要がありました。和一はあんじょうむらからのアメリカ渡航者にたいし、アメリカでのみもとひきうけにんになったり、滞在中の費用を支援したりしました。また、私塾『尚志会』をつくり、アメリカにやってきたにほんじんに国史や漢学などをおしえたっていいます。
  • 1898年の帰国までに、アメリカだけでなくカナダやヨーロッパ、オーストラリアをまわって牧畜や水産に関する調査をおこない、アメリカの農業事情について『三河郷友会雑誌』に紹介もしております。
  • 帰国后の1904年、第9回総選挙で立憲政友会から立候補して当選、あんじょう市域からはつの代議士になります。つづく1909年の第10回総選挙においても当選し、2期連続で議員をつとめました。
  • また、議員就任中の1906年、あんじょうむら、平貴村(上条、高木、東別所、西別所、大岡、別郷、山崎、北山崎が1889年に合併してできたむら)、里村、今村、箕輪村、福釜村、赤松村、古井村が合併してあんじょうちょうがたんじょうしますけど、和一はほの初代町長に選出されます。たてつづけに公職についたのも、ひろい視野と人脈、行動力が期待されたのかもしれません。

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いや~、明治時代にもアメリカでまなびにほんからの渡航者を支援するっていうような国際的なひとが、あんじょうからでただね。また、アメリカなど諸外国の農業の調査研究をやって、にほんにかえっては、あんじょう市域はつの代議士となるか。ほんで、代議士をやりつつ1906年のあんじょうちょうたんじょうにあたっては、初代町長をつとめると。なるほど。

※ 肖像は築山芳枝氏提供
※ ひだりしたしゃしんは和一が初代町長をつとめたあんじょうちょうやくば(御幸本町) - あんじょう中部小学校80年記念誌「あんじょう中部」より


(さんこう)

*1:いまの愛西市