あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

安城駅ができたのも稲垣半十のおかげ

わが安城市(あんじょうし)のもとが1891年にできた国鉄東海道線安城駅であることは、まえに「安城 (あんじょう)の 歴史 (かめぞう)」にかいたとおりだけど、この安城駅の開業に尽力したのが初代安城村長の稲垣半十(いながきはんじゅう)っていうひとだってことをしっとるひとはすくない。ってか、こんかい広報あんじょう2014.4.15号で紹介されるまで、おれもしらんかった。

東海道線が全通したのが1889年だけど、ほのときは岡崎駅(おかざきえき)と刈谷駅(かりやえき)のあいだに駅はなかった。岡崎や刈谷は江戸時代からの城下町だって駅もできただたけど、安城市の市域にまちっていえるまちはなく、ただむらむらが点在するだけのとこに駅はつくらんかっただ。ほいでも岡崎から刈谷まではきょりがあり、国鉄のほうでもふたつの駅のまんなかに、まあひとつ駅をつくることになった。さいしょの案はいまの三河安城(みかわあんじょう)のへんだっただけど、ほれよりふたつの駅のまんなかにあるいまの安城駅のばしょのほうがいいぞ!っていいだしたのが初代安城村長の稲垣半十だった。この場所は安城村の村域だっただ。

安城村ってのは明治政府の制定した町村制にしたがって、1889年10月ついたちにできたばっかりのむらで、初代村長のいきなりのおおしごととして駅誘致をやったわけだ。ちなみにいまは安城市域になる古井村(ふるいむら)や福釜村(ふかまむら)なんかも安城村と同時に発足しとる。

稲垣半十村長は、くにの鉄道局の説得や、おんなじ碧海郡内のほかのむらむらの了承のとりつけにはしりまわった。さらにおどろくべきは、駅の建設用地の確保だ。なんと「稲垣半十個人の財産を投じて、たかいねだんでいったん予定地の土地をかって、あとでこれをやすいねだんで鉄道局にうる」なんてことまでやっとる。わがむらに駅ができるなら私財をなげうってでも!ってわけだ。また、駅ができたあとのめんどうもみとる。駅ができても利用者がすくなくちゃ、いつおとりつぶしになるかもわからん、ってことで、またまた個人の財産を投じてきっぷをかって、村民にくばるなんてことまでやっとる。駅ができたばしょはむらはずれもいいとこで、安城が原(あんじょうがはら)のまんなかの人家もないとこだっただ。

安城駅をえた安城村は、ほれまで中心のなかったこの地域の中心となり、1906年5月ついたちには、古井村や福釜村なんかも合併して安城町に昇格しとる。つづいて、1914年には碧海郡役所知立町(ちりゅうちょう)から安城町に移転。また、この安城町では農業の先進的なとりくみがなされ、1920年代から1930年代にかけて「にほんのデンマーク」ってよばれ、安城えきまえには町農会館、郡農会館っていう先進的な洋館もたちならび、全国からの視察団が殺到したっていう。農都安城のかがやける時代だった。稲垣半十の功績はおおきい。

安城の偉人①初代安城村長稲垣半十 (広報あんじょう 2014.4.15)
△ 安城の偉人①初代安城村長稲垣半十 (広報あんじょう 2014.4.15)

(さんこう)