平成のことば
世界の平和もだれかにまかせることではなく、わたしやあなたがやること
ジャーナリスト山本美香さん
2012年8月はつか、シリア内戦を取材中に銃撃され、45才で死去した。ほのまえのとし、小学生むけの戦記を出版しとる。地雷でりょうあしをうしなったこ、少年兵などをとりあげた本に、こんなおもいをこめたってかたっとった。
△ 山本美香さん(ちゅうにち 2018.8.19)
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(さんこう)
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- 山本美香 - Wikipedia
- 山本美香(やまもとみか、1967年5月26日-2012年8月20日)は、日本のジャーナリスト。ジャパンプレス所属のジャーナリストとしてイラク戦争など世界の紛争地を中心に取材し、ボーン・上田記念国際記者賞特別賞、日本記者クラブ賞特別賞などを受賞した。2012年のシリアでの取材中、銃撃により殺害された。
- 経歴
父親も朝日新聞の元記者。山梨県都留市出身。3人姉妹の次女。山梨県立桂高等学校、1990年に都留文科大学文学部英文学科卒業后、朝日ニュースターに入社し、記者、ディレクター、ビデオジャーナリストとして活動する。 - 1995年、朝日ニュースターを退職、自由業を経て、アジアプレス・インターナショナルに所属。1996年からは独立系通信社のジャパンプレスの記者。ジャパンプレスの上司である佐藤和孝と15年間、コンビを組んで取材した。ターリバーン支配下のアフガニスタン取材など、新聞、テレビ、雑誌で発表。2003年、イラク戦争の際のバグダードからレポートを送り続けた。
- 2003年のボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞している。2013年には、危険な状況下の取材により報道の自由に大きく貢献をした記者に贈られる、国際新聞編集者協会の世界報道自由ヒーロー賞を受賞している。
- 最后の地を共に取材していた佐藤和孝とは、15年近く前からの事実婚関係にあり、「公私にわたるパートナーだった」と佐藤和孝は時事通信の取材で語っている。
- ジャーナリスト以外の活動
2003年10月から2004年3月にかけて日本テレビ『NNNきょうの出来事』のフィールドキャスターを務めた。 - 2008年には早稲田大学大学院政治学研究科の非常勤講師に就任すると共に、母校である都留文科大学でも臨時講師として教壇に立ち、后輩たちに自らが世界各地を取材して見聞してきたことを基に講義を行った。
- 出身地の都留市での活動が評価され、2011年には日本国政府の外交分野の「仕分け人」に選ばれ、在外公館や査証に対し、意見を述べた。
- 最后の取材
2012年8月20日、シリア内戦の取材中、シリア北部のアレッポにて銃撃を受けて、搬送先の病院で死去したことを反アサド政権「自由シリア軍」のスポークスマンが発表した。日本の外務省もこの事実を確認した。山本美香の家族へは2012年8月21日の9時頃に、佐藤和孝からの電話連絡で伝えられた。銃撃后に病院に運ばれ、パートナーの佐藤和孝が確認したところ、右腕および首に銃創痕が、防弾チョッキで保護された腹部にも、銃撃の跡があり、大量の出血があった。45歳没。 - 最后の取材は2012年8月14日に現地入りし、日本テレビ系の報道番組などで放送された。銃撃時も取材中で、カメラを回していたという。
- 山本美香の遺体は、2012年8月22日トルコ・アダナの政府施設に運ばれ検視が行われた。
- その后、遺体はイスタンブールを経由して、2012年8月25日に遺族や佐藤和孝と共に同便のトルコ航空機(ボーイング777)で日本の成田国際空港に搬送された。日本の警視庁は刑法の「国外犯規定」に基いてこの事件を殺人容疑で捜査しており、同日杉並警察署で山本美香の遺体を検視した。その后遺体は自宅に運ばれた。
- 2012年8月26日、東京都内の大学病院で司法解剖が行われ、死因は首への銃撃による頸髄損傷とみられると発表した。また、銃創痕が9カ所あることが明らかになった。
- 死を巡る各国・メディアの反応
- 山本美香記念国際ジャーナリスト賞
山本美香の死后、次世代のジャーナリスト育成を目指し一般財団法人山本美香記念財団が設立され、山本美香のジャーナリスト精神を引き継ぎ、果敢かつ誠実な国際報道につとめた個人に対して「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」が創設された。