2017年7月27日、刈谷市美術館にいって「あかえ」で有名な斎藤吾朗画伯の展覧会をみてきた。おんなじ西尾高校の先輩でありながら、まんだついさいきんにしったとこで、2017年7月いつかに画伯のアトリエに展覧会をみにいったのについで、2回めになる。
会場はさつえい禁止で作品の写真もなく、また、筆者の芸術音痴のせいでえのよさを文章にしてつたえることもできず、作品のとなりにあった、画伯自身によるえの説明と主催者がわが作成したっておもわれるえの背景の説明を中心として、筆者がかきとってきたかぎりのもんをかきとめとく。どんなえがあったか、どんなおもいで画伯がこのえをかいたかってことが、ちょっとでもわかるかもしれん。
会場の刈谷市美術館と斎藤吾朗画伯の展覧会の看板
- 寺津のおじさん
- 寺津のおじさんの遺品をつぎの世代につたえるべき活動をかさねとる
- うどんをたべるおばあさん
- 国鉄岡崎えきまえで自転車あずかりをしとったおばあさんがモデル
- 皇軍勇士慰問運動 - 慰問用えはがき - 中京美人第壹輯 (※ 画伯の作品以外の展示品)
- 兵隊さんはいのちがけ、わたしたちはたすきがけ
- 西尾のまつり、さかなまちの大名行列
- 18世紀はじめの西尾の天王祭にさかなまちの余興ねりものとして大名行列は奉納された。当時の城主のいきなはからいで、年に一度行列に参加する町民に家老、御家人、供奴など士族とまったくおんなじ衣装に大小二刀もゆるされ、場内に行列がはいるとこもゆるされとった。
- さかなまち大名行列
- 西尾祇園祭は伊文神社の祭礼としておよそ400年の歴史があります。京都の祇園祭、博多祇園山笠とおなじく牛頭天王(ごずてんのう)をまつる祭礼で、疫病、災厄よけを祈願します。中心市街地が遊歩道となり「さかなまち大名行列」のほか、伝統あるみこしや獅子舞、市民そうおどりなどがおこなわれます。
さかなまち大名行列は、伊文神社から御剱八幡宮への神輿渡御(みこしとぎょ)につきしたがったねりもののひとつで、各地につたわる大名行列とはことなり、町人が武士の衣装で大名行列をしとったのがとくちょうです。近年は7月の「うみのひ」の直前にある金土日のみっかかんにわたっておこなわれております。ことし2017年は7月14日から16日に開催。
- 吉良のあかうまと東条城
- 良質な雲母(きらら)がとれることからいまの西尾市は吉良荘(きらのしょう)ってよばれ、足利尊氏の5代まえの足利義氏が三河守護として、1200年代に東条城をつくり、子孫の吉良上野介義央公は領内を農耕用のあかうまにのって、黄金堤などの治水工事に尽力したで、名君ってしたわれとる。
- 東条城
- 1221年承久の乱のあと、足利義氏が三河国の守護になり、吉良荘の地頭職を兼務しました。義氏は吉良荘をつらぬく当時の矢作川をさかいに、にしがわの現在の西尾城の位置に西条城を、ひがしがわに東条城をかまえ、長男長氏を西条、三男義継を東条におき、吉良荘をわけておさめました。以后、東条城は義継を祖とする前期東条吉良氏と、吉良尊義を祖とする后期東条吉良氏の居城となりました。1992年に城門、ものみやぐらなどが復元され、現在は古城公園として整備されております。
- 三河一色大提灯祭
- ほのおをかみでつつんだのはにほんじんだけだ。
- 三州西尾の岩瀬文庫
- 西尾市岩瀬文庫は、幼少時から読書ずきの肥料商岩瀬弥助さんが独力で1908年に創設した図書館で、講堂、婦人閲覧室、児童館、音楽室、宿泊所、猿舎、熊舎までそなえた文化施設だった。8万冊の蔵書に稀観本もおおく、画面半分には古事記、枕草子、万葉集、徒然草、北斎漫画、学問のススメから本草学など、文学までをびっしりとえがいた。
海外でも評価のたかい岩瀬文庫をいまは西尾市民がまもっとるっていうことをほこりにしたい。
斎藤吾朗画伯が模写したモナリザ
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(さんこう)