幕末、皇女が将軍家にとつぐっていうできごとがあった。とついだ皇女が和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)で、江戸幕府第14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)の正室になっただ。これを和宮降嫁(かずのみやこうか)っていう。中山道をとおって京から江戸にむかう和宮らの行列は、道中のひとびとにふかく記憶された。
〔ヰキペディアの記述から引用〕
1861年10月20日、和宮一行は桂御所を出立した。東海道筋では河留めによる日程の遅延や過激派による妨害の恐れがあるとして中山道を江戸へと向かった。行列は警護や人足を含めると総勢3万人に上り、行列は50km、御輿の警護には12藩、沿道の警備には29藩が動員された。和宮が通る沿道では、住民の外出・商売が禁じられた他、行列を高みから見ること、寺院の鐘等の鳴り物を鳴らすことも禁止され、犬猫は鳴声が聞こえない遠くに繋ぐこととされ、さらに火の用心が徹底されるなど厳重な警備が敷かれた。島崎藤村『夜明け前』にも、第一部第六章で和宮一行が木曾街道を通行する前後の情況が描かれている。
中山道太田宿では、いま、この和宮降嫁の行列を再現してたのんどるっていう。
|
(さんこう)