2015年3月6日、ちゅうにち、梅田歳晴さん
- 名古屋のひとたちの生活を破壊した第二次世界大戦末期のアメリカ軍による空襲(くうしゅう)被害をパネルや資料でしめす企画展「名古屋大空襲から70年」が2015年3月28日まで、愛知県名古屋市名東区よもぎ台2丁目820にある「戦争と平和の資料館ピースあいち」でひらかれとる。展示をとおして、戦争をしらん世代に空襲(くうしゅう)被害をしってもらうねらい。
- 名古屋では1944年12月13日のアメリカ軍の爆撃機B29が東区の工場を爆撃したのをかわきりに、1945年の終戦まで軍需工場への爆弾投下と市街地への焼夷弾(しょういだん)投下がくりかえされ、市民のくらしがやきはらわれた。
- 展示では「名古屋の軍需工場への爆撃」「名古屋市街地への大規模な爆撃」「中小都市と軍需工場への爆撃」の3期にわけて解説。期ごとに、被害のとくちょうや体験者の証言談、手記の抜粋をパネルにまとめた。40点あまりのパネルのほか、関連した書籍や資料もおいた。
- 当時、いまは東邦高校となをかえた東邦商業学校5年生だった吉野常雄さんの手記は、1944年12月13日の空襲(くうしゅう)でやねやガラスがみだれとび、にげるひとたちで混乱したようすを「まさにこのよの地獄えず」って表現してある。
- みぢかにある空襲(くうしゅう)のつめあとを紹介するコーナーもある。1945年6月ここのかの熱田空襲で、コンクリートにきざまれた爆弾のあとがなまなましい「被爆堤防」をはじめ、いまでも被害をみてとれる名古屋市内の各所を写真いりで紹介。ほかに、ははおやの空襲体験をもとにまんがをかいとるおざわゆきさんの複製原画展も開催されとる。
- 戦争と平和の資料館ピースあいちの担当者は「70年まえの空襲被害を、わかいひとたちにこそしってもらいたい。にほんじんの被害だけではなく、にほんじんが他国のひとたちにあたえた加害にもおもいをめぐらせてほしい」って来場をよびかけとる。
- 「新修名古屋市史」には、空襲による市内の焼失面積は38.6平方キロメートル、被災家屋は13万5千戸以上、死者7,802人、負傷者9,911人って記録されとるけど、ほんとに正確な犠牲者数はわかっとらん。
- 2015年3月じゅうよっか午后5時からは「犠牲者追悼のゆうべ」がひらかれる予定で、空襲体験者の手記の朗読、戦争と平和の資料館ピースあいち平和地蔵のまえで空襲犠牲者の供養をする「ともしび法要」がある。入館料はおとな300円、小中高生100円。にちようびとげつようびは休館。