あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

蘇我稲目のおはかが天皇陵にさきんじてさいしんがた?

古代、物部氏(もののべし)とならぶ豪族の二大勢力のひとつ蘇我氏(そがし)ってならったよね。蘇我稲目(そがのいなめ)、蘇我馬子(そがのうまこ)おやこの時代が全盛期だった。かつやくの舞台は飛鳥の宮(あすかのみや)。藤原京(ふじわらきょう)にうつるまえのにほんのみやこで、いまの明日香村(あすかむら)にある。

都塚古墳(みやこづかこふん)(まいにち)
都塚古墳(まいにち)

ところでこの飛鳥の宮にある、ごぞんじ石舞台古墳(いしぶたいこふん)のすぐみなみにある都塚古墳(みやこづかこふん)っていう古墳が、じつは階段式の方墳(ほうふん)だってことが発掘調査でわかっただげな。石舞台古墳蘇我馬子の、都塚古墳蘇我稲目のはかである可能性がたかいっていう。

都塚古墳(みやこづかこふん)の階段(まいにち)
都塚古墳の階段(まいにち)
(三浦博之さんさつえい)

ほんで、この階段式の方墳のなにがすごいかっていうと、まずはほのおおきさ。一辺のながさが40メートルをこえ、直后にきずかれた方墳の天皇陵にせまる規模だげな。ほいから、これがにほん国内でいちはやくつくられたもんだってこと。天皇陵のかたちは6世紀末に、ほれまでの前方后円墳(ぜんぽうこうえんふん)から方墳にかたちがかわるそうで、587年になくなった用明天皇(ようめいてんのう)のおはかがさいしょの方墳だげなけど、570年になくなった蘇我稲目のおはかが、ほれにさきんじて方墳のかたちを採用したらしい。天皇家よりもさきに、さいしんがたのおはかをつくったってわけだ。

都塚古墳(みやこづかこふん)の位置図(まいにち)
都塚古墳の位置図(まいにち)

なるほど、また飛鳥にいくたのしみがふえたね(^_^) もよりえきは近鉄吉野線の飛鳥駅。ふたつきたの橿原神宮前駅(かしはらじんぐうまえ)からバスでいくのも便利らしい。


(さんこう)

  • 奈良・都塚古墳:ピラミッドがた「階段状」巨大方墳 - 6世紀后半、蘇我稲目のはかか - 毎日新聞(矢追健介さん)|2014年08月14日 東京朝刊 〔ねたもと〕
    • 奈良県明日香村(あすかむら)の都塚古墳(みやこづかこふん)(6世紀后半ごろ)が、墳丘を5段以上の階段状にきずいたピラミッドがたのおおがた方墳とわかり、明日香村教育委員会と関西大考古学研究室が2014年8月13日、発表した。にほん国内のこの時期の方墳で階段状墳丘が確認されたのははじめて。一辺のながさが40メートルをこえ、直后にきずかれた方墳の大王陵(天皇陵)にせまる規模であることもわかった。最高級の権力者が前方后円墳にかわるあたらしい形式としてとりいれたとみられ、蘇我氏の権勢のいしずえをきずいた蘇我稲目(そがのいなめ)(570年没)らが被葬者の候補にあがっとる。古墳時代から飛鳥時代への過渡期の権力構造をしるてがかりになりそうだ。
    • 都塚古墳があるのは、蘇我稲目の子、蘇我馬子(626年没)が被葬者として有力視される石舞台古墳(7世紀前半、一辺50メートルの方墳)のみなみ400メートル。おねの先端の傾斜地にきずかれとる。
    • 1967年に関西大考古学研究室が調査し、巨石をつかったよこあな式石室のなかに凝灰岩製のいえがた石棺が安置されとったことがわかったけど、墳丘のかたちや規模は不明だった。こんかい、墳丘と周囲の7か所を発掘調査したところ、最下部が、のり面をかわらいしでかためたテラス(基壇)になっており、ほのうえにいしづみの階段をかさねて墳丘をきずいとったことがわかった。
    • 階段のいしづみは石室と方向をあわせてきずかれ、テラスになった最下段の1段と上部の4段分を確認。各段の水平面のはばは最下段が6メートル以上で、上部が1メートル。上部の階段のたかさは60センチから30センチ。最下段と上部の間の未調査部分にさらに数段あるとみられ、全体では8段前后に復元できる。
    • 墳丘の規模は、東西41メートル、南北42メートル。たかさはやまに面したひがしがわが4.5メートル以上、たにに面したにしがわが7メートル以上になる。墳丘のきたがわでいしの護岸の周濠(しゅうごう)(はば1メートルから1.5メートル)を確認した。
    • この時代の敏達(びだつ)天皇(585年死去)がほうむられたのは前方后円墳、つぎの用明、崇峻(すしゅん)、推古の3天皇がほうむられたのは方墳とされ、大王陵が前方后円墳から方墳にきりかわる直前の築造とみられる。これらの大王陵や石舞台古墳はいずれも2、3段で、階段状の方墳は5世紀まで朝鮮半島北部の高句麗(こうくり)できずかれたけど、にほん国内では例がない。
    • 一帯は吉野方面への街道がとおる要衝で、蘇我馬子の邸宅あととされる島庄遺跡や飛鳥の中心部を西北にのぞむ。
    • 都塚古墳
      奈良県明日香村の飛鳥の宮あとから南東南1.2キロの阪田・祝戸地区にある。江戸中期の国学者本居宣長(もとおりのりなが)の紀行文「菅笠日記(すががさのにっき)」には、用明天皇をほうむったっていう伝承とともに「みやこ塚」って紹介されとる。明治、大正時代には、巨石をつかったよこあな式石室のなかに朱を塗布した巨大ないえがた石棺があることが報告され、はやくから注目されとったけど、史跡には指定されてない。
  • 蘇我氏 - Wikipedia
    • 古墳時代から飛鳥時代(6世紀から7世紀前半)に勢力をもち、代々大臣(おおおみ)をだしとった有力豪族である。