あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

瑞竜寺

しょくばの 慰安 旅行 ふつかめの 11月 21日、高岡の 瑞竜寺 (ずいりゅうじ)を おとずれた。加賀藩 2代め 藩主 前田利長の 菩提寺で あり、1997年には 国宝にも 指定されとる。

瑞竜寺 山門
瑞竜寺 山門

なんで 加賀 藩主の 菩提寺越中 高岡に あるか ふしぎだら。

加賀 100万石の 領土は、じつは 加賀の ほかに 能登越中に および、しかも 100万石の うちの 60万石は 越中が うみだしとった ものだと いう。いまの 県名で いうと、石川県と 富山県の 2県が 加賀藩の 領土だっただ。

そして、利長は、当時 あれのだった 高岡に しろを つくり、ここが 藩都 金沢に つぐ 商工業 都市に 成長する いしずえを きずいただ。いわば 利長は 高岡の 開祖で あり、つぎの 藩主 利常が、先代 活躍の 地に その 菩提寺を つくったって いう わけだ。



それでは 順番に 案内する。

高岡駅を うらに でて、とおりを 南下すると、利長の 墓所 (ぼしょ)と 瑞竜寺を むすぶ 参道と 交差し、これを にしに すすみ 瑞竜寺に いたる。

まあじき 瑞竜寺って いう ところで 利長公の 像に でくわす。

瑞竜寺の 参道に ある 前田利長公の 像
瑞竜寺の 参道に ある 前田利長公の 像

うえに むかって ひらぺったく ながく のびた ぼうしが 特徴的で、これは マスコット キャラクターの 「利長くん」でも 強調されとる とこだ。かたなに ひだりてを かけ、采配を みぎてに もって すわる さまは、戦国 武将が 敵陣を にらんどる ような おもむきが ある。

山門に くる。

瑞竜寺 総門
瑞竜寺 総門

どっしりと して、おちついた たたずまいだ。あとで しらべた ところ、これは 山門では なく 「総門」と いう なまえが ついとった。総門を くぐった スクエアの おくに あるのが 正式な 「山門」だった。ひょっとしたら、総門から 山門までの スクエアは あとから つけたされた ものかも しれん。

この 総門を みた だけで かえったと しても、じゅうぶんな 感動を えれる。総門の おくに 山門、さらに その おくに 仏殿が みえる。

総門を くぐり、全容を あらわした 山門の 威容に 圧倒される。

瑞竜寺 山門
瑞竜寺 山門

総門と 山門の あいだは 回廊に かこまれた スクエアに なっとって、一面に じゃりが ひいて ある だけの しろい 空間は はげしく きもちが いい。

山門を くぐると、また 回廊に かこまれた スクエアで、その いちばん おくに 法堂が ある。

瑞竜寺 法堂 (みぎ 45度から)
瑞竜寺 法堂 (みぎ 45度から)

華麗だ。

この おくの スクエアは きれいに しばが はられて おり、おもわず うちの いぬ、まろを こんな ところで あそばせて やれたらと おもった。

スクエアを とりかこむ 回廊に、戦国の 武を かんじる。

瑞竜寺 回廊
瑞竜寺 回廊

すでに 戦国は おわっとっただけど、もし いくさに なったと しても、この 回廊が たてに なって 敵を ふせいだに ちがいない。

おくの スクエアの まんなかに 仏殿が ある。

瑞竜寺 仏殿
瑞竜寺 仏殿

伽藍 (がらん)の なかで、ゆいつ 抹香くささが かんじられる。また、スクエアの ひろびろかんを そこなっとる ようでも ある。

仏殿を とおりぬけ、法堂に はいる。

瑞竜寺 法堂 (ひだり 45度から)
瑞竜寺 法堂 (ひだり 45度から)

とてつもなく 天井が たかく、えんがわを あるく ひとも まめつぶの ようだ。

瑞竜寺 法堂 内部
瑞竜寺 法堂 内部

法堂から つながる 回廊を ひだりに すすみ、コーナーに なった ところで うらてに でると、かわやが ある。

瑞竜寺 回廊 うらての かわや
瑞竜寺 回廊 うらての かわや

武の 緊張から 解放され、ほっと 安心する。回廊から はなれた ところには 茶室も ある。やすらぎの エリアだ。

ふたたび 回廊に もどる。

瑞竜寺 回廊 内部
瑞竜寺 回廊 内部

回廊の なかは この ように 天井が たかく、はばも ひろい。一朝有事 (いっちょうゆうじ)の 際、ながい なぎなたを もった 僧兵の むれが 楽々と いきかう ことが できる。ただし、瑞竜寺に 僧兵が おったか どうかは さだかじゃ ない。

ひんやりと した くろつちの どまも なつかしい。おさない ころの わがやも、かまやが どまに なっとった。

回廊は そのまま 山門に つながり、そこから しろい スクエアに でる。

いきずりの グループに たのまれて、山門を バックに した 記念 写真を とって あげる。ふたくみ。

総門を でて 拝観を おえる。

記念に かった 利長くんネクタイを てに、いえじに つく。



(さんこう)


【高岡の よあけと 利長、利常】

  • 1609年、加賀藩 2代め 藩主 前田利長が、関野と よばれとった あれのに しろを きずき、近郊から たみを あつめて 城下まちを つくった。これが 高岡の はじまり。
  • 1614年、前田利長の 死去と ともに 家臣団が 金沢へ ひきあげ、しろは まもなく 廃城と なり、まちも 急速に さびれて いく。
  • 1620年、加賀藩 3代め 藩主 前田利常は 高岡 商人の 転出を 禁じ、城下まちから 商工業の まちへの 転換を はかる。
  • 前田利常は さらに、しろに かわる 藩主の 宿泊所と して 御旅屋 (おたや)を 創設。高岡を 砺波 地方 全域の 特産だった ぬのの 集散地に する。高岡で 越中 全域の さかなを 管理し 上質の ものを 金沢へ 移送。
  • 1671年には わた どんやが 設置され、廃城後の 城内に こめぐらが おかれる。以後 高岡は 加賀藩内で、藩都 金沢に つぐ 商工業 都市と して 発展して いく。



曹洞宗 高岡山 瑞竜寺】

  • 前田利長の 菩提を とむらう ため 前田利常が 創立。
  • 仏殿、法堂、山門の 3棟が 近世 禅宗様 建築の 代表作と して、1997年に 国宝に 指定。