あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

300年 まえの アイヌ語集 みつかる 〜福井の 普門寺〜

アイヌ語 最古の 古文書が みつかった。アイヌ語には 文字が ないので、にほんごで かいた ものだ。

古文書を かいた ひとと その 状況
曹洞宗の 禅僧 空念が、1704年に 蝦夷アイヌ語と にほんごの 対訳を 記録した もので、古文書の あとがきに 「拙僧が しまじまを まわって ききおぼえた 蝦夷 ことばを しるす」と ある。
みつけた ひとと その 状況
大分県 宇佐市の 浄土真宗 極楽寺 住職、国東利行さん (83才)が、4、5年 まえに、空念が ひらいた 福井市に ある 普門寺で、空念の 大分での 足跡を しらべとって みつけた。
解読した ひとと その 状況
北海道開拓記念館の 三浦泰之 学芸員らが、国東さんが カメラで とった 画像を 解読。ことし 6月に 作業が おわった。






禅僧 空念の アイヌ語集 (ちゅうにち)
禅僧 空念の アイヌ語集 (ちゅうにち)

にほんごとの 対訳の 一例
「春ハ はいかる」
「夏ハ さく」
「雲ヲハ にしくろ」
「星ヲハ のちう」
「父ハ はんべ」
「母ハ はほう」
「口をハ ばろう」
「あたまハ しやば」
(古文書 150ページの うち 26ページで アイヌ語を 紹介)

アイヌ語の 研究者 または アイヌ語を 収集した ひとと いえば、現代では 中川裕氏、明治期の 言語 学者 金田一京助、幕末の 探検家 松浦武四郎が しられとるけど、まっと はやい 時期に、それも お坊さんが そんな 活動を しとったって いう ことに おどろく。







アイヌ人 分布図
アイヌ人 分布図

また、すでに 23,782人に へっちゃったって いう アイヌ 民族だけど、こう した 古文書が 発掘された ことで、その ひとたちの ためにも、アイヌ語の 歴史が あきらかに なると いいな。




(ねたもと)

〔まいにち〕 アイヌ語集: 最古の 古文書、福井の てらで 発見
空念が 1704年に 記録、日本語訳も

福井新聞〕 福井 普門寺に 最古 アイヌ語
僧侶 空念、江戸 中期 しるす

〔ちゅうにち〕 300年 まえの アイヌ語集 みつかる
〜福井の 普門寺〜

江戸 中期に 全国を 行脚した 越前 出身の 禅僧 空念が、1704年 (宝永元年)に 蝦夷 (北海道)で アイヌ語と にほんごの 対訳を 記録した 古文書が、福井市 南山町の 曹洞宗 普門寺で みつかった。記録年が あきらかな アイヌ語集と しては 国内 最古。研究者は 「語数が 豊富で、内容も はばひろい。アイヌ語の ふるい 史料は ほとんど 現存して おらず、一級の 史料だ」と しとる。


古文書は 約 150ページの うち 26ページで アイヌ語を 紹介。「春ハ はいかる」「夏ハ さく」など 季節の ことばの ほか、「雲ヲハ にしくろ」「星ヲハ のちう」など 気象に 関する ことば、ものの かぞえかた、「父ハ はんべ」「母ハ はほう」など 家族 関係を しめす ことば、「口をハ ばろう」「あたまハ しやば」と いった からだを あらわす ことばなど 約 460語句が しるされとる。末尾に 「拙僧が しまじまを まわって ききおぼえた 蝦夷 ことばを しるす」と かかれ、「宝永元年」の 年号と 署名も あった。


大分県 宇佐市の 浄土真宗 極楽寺 住職、国東利行さん (くにさき: 83才)が、4、5年 まえ、空念が ひらいた 普門寺で 大分での 足跡を しらべとって、古文書に 「樺太」の 文字を 発見。カメラで とった 画像を 北海道開拓記念館の 三浦泰之 学芸員らが 解読。ことし 6月に 作業が おわった。古文書は 火災で 周縁が こげるなど 損傷が はげしいけど、文字は よめる 状態だった。普門寺 住職の 田原晣方さん (67才)に よれば、この てらは 1955年 ごろ 火事に あい、住民が 書物などを はこびだし、ほかの 古文書と ともに おしいれに 保管して あった。田原晣方さんは 「まさに 灯台 もと くらし。焼失せんで よかった」と はなす。


北海道大学の 佐藤知己 教授 (言語学)に よると、現存する 最古の アイヌ語集は、約 150語句を 収録する 「松前ノ言(こと)」で、室町 末期から 江戸 初期に しるされたと されるけど、正確な 記録年は はっきりしとらん。佐藤知己 教授は 「現在は 解読 不可能な アイヌ語の ふるい かたちを 反映して おり 貴重な 史料だ。あいての よびかたなどに 敬語 表現も あり、興味ぶかい」「普門寺の 古文書は 採録 語数や 文例が おおく、格段に 価値が たかい。史料 不足で アイヌ語の 歴史的 研究は すすんどらんかったけど、この 古文書を 契機に 研究が すすむ ことに 期待する」と はなしとる。


天理大学の 藤田明良 教授 (日本中世史、東アジア海域史)に よると、空念は 1655年に 越前で うまれ、1690年から 九州を はじめ 北海道まで 全国 行脚を した。1718年に 現在の 普門寺に 観音堂を 建立し、1731年に 死去したと いう。藤田明良 教授は 「当時 全国 行脚した 僧は めずらしく ないけど、各地の てらの 事情を つたえる 史料などが のこっとった ことは たいへん 貴重。やけこげ 解読が むずかしい ものも ふくめ、空念が のこした 古文書は きちんと 保存、調査すべきだら」と はなしとる。


【まいにち 安藤大介 ほか】


(さんこう)