あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

みて きた! 「しりたい! 鹿乗川 流域 遺跡群」

おれの すむ 古井 (ふるい)の ひがしがわを 南北に ながれるのが 鹿乗川 (かのりがわ)で、この 流域には 弥生 時代から 古墳 時代に かけての 遺跡が いっぱい ある。こないだ たまたま 安城市民ギャラリーに いったら、ちょうど 「しりたい! 鹿乗川 流域 遺跡群」って いう 企画展 やっとって、みて きた。

(弥生 時代から 古墳 時代、それぞれの 時代の 集落 遺跡)

1 弥生 時代 前期と 中期 前葉の 集落 遺跡
1 弥生 時代 前期と 中期 前葉の 集落 遺跡

〔古井 周辺〕 坂戸 遺跡、上橋下・下橋下 遺跡、古井堤 遺跡

2 弥生 時代 中期 後葉の 集落 遺跡
2 弥生 時代 中期 後葉の 集落 遺跡

〔古井 周辺〕 坂戸 遺跡、上橋下・下橋下 遺跡

3 弥生 時代 終末期の 集落 遺跡
3 弥生 時代 終末期の 集落 遺跡

〔古井 周辺〕 坂戸 遺跡、彼岸田 遺跡、上橋下・下橋下 遺跡、本神 遺跡、古井堤 遺跡

4 古墳 時代 前期の 集落と 古墳
4 古墳 時代 前期の 集落と 古墳

〔古井 周辺〕 坂戸 遺跡、神ノ木 遺跡、彼岸田 遺跡、上橋下・下橋下 遺跡、本神 遺跡、古井堤 遺跡、塚越 古墳、二子 古墳

5 古墳 時代 中期の 集落と 古墳
5 古墳 時代 中期の 集落と 古墳

〔古井 周辺〕 坂戸 遺跡、神ノ木 遺跡、彼岸田 遺跡、上橋下・下橋下 遺跡、本神 遺跡、古井堤 遺跡、塚越 古墳、二子 古墳

うん、わが 古井の 周辺も 弥生 時代から 古墳 時代に かけて ずいぶんと 発展して いった もんなだ。

(鹿乗川 流域 遺跡群とは)

鹿乗川 流域 遺跡群とは
鹿乗川 流域 遺跡群とは

鹿乗川 流域 遺跡群とは、岡崎市 島坂町 (しまさかちょう)から 安城市 寺領町 (じりょうちょう)に かけての 鹿乗川、西鹿乗川 流域に 所在する遺跡群の 総称です。

古井町から 桜井町に かけての 沖積地 (ちゅうせきち)は、1955年 ごろから はじまった ほじょう 整備 工事の さいに、つちとりした しまばたけ (島畑)の なかから 大量の 土器が 出土した ため この 一帯が 遺跡で ある ことが わかりました。ほの あと 安城市 教育 委員会などの 調査に よって、上橋下 (かみはしか) 遺跡から 亀塚 (かめづか) 遺跡までの 遺跡が 弥生 時代から 古墳 時代に かけての 西三河 (にしみかわ)を 代表する 集落で あると いう 評価が される ように なりました。

1998年から 2002年に かけて 古井町、桜井町、安城町で おこなわれた ほじょう 整備 事業では、神ノ木 (かみのき) 遺跡の ように 一部 面的な 発掘 調査が おこなわれましたが、大半は パイプラインを 埋設する ばしょに はば 1.2メートルから 1.5メートル、ながさ 数十から 数百メートルと いう きわめて 狭小な トレンチ (試掘 みぞ)を 合計 70か所 設定して 実施すると いう、あんまり 例の ない 調査が おこなわれました。ひとつ ひとつの 調査区は ちいさくても、広範囲に、かず おおく 実施した ことに よって、遺跡群 全体の 概要が おぼろげながら みえて くる ように なりました。

また、2001年 以降には 愛知県 埋蔵 文化財 センターに よって 上橋下 遺跡、寄島 (よせじま) 遺跡、下懸 (しもかけ) 遺跡、五反田 (ごたんだ) 遺跡、惣作 (そうさく) 遺跡などの 遺跡に ついても ほの 概要が あきらかと なって きました。

これらの 調査 成果に よって、岡崎市 島坂町から 安城市 木戸町までの 鹿乗川 流域に 連綿と 遺跡が つづいとる ことが あきらかと なって きた ため、現在では 鹿乗川 流域 遺跡群は もっとも みなみがわに 位置する 寺領町の 惣作 遺跡までを ふくめて 鹿乗川 流域 遺跡群と よぶ ように なりました。

鹿乗川 流域 遺跡群の とくちょうには、つぎの ような ことが あげられます。

  1. 弥生 時代から 平安 時代まで、一部 空白の 時代は ある ものの、おおくの 時期で 遺構や 遺物が みつかって おり、集落が ながく 継続しとる こと。
  2. 大量の 土器が 出土しとる こと。
  3. 弥生 時代 後期から 古墳 時代 前期に かけては、外来系 土器 (他 地域の かたちを した 土器)が かずおおく 出土して おり、西三河に おける 交流の 拠点と なっとった こと。
  4. 人面文 土器を はじめと する 線刻 土器が 多数 出土しとる こと。

こんかいの 展示では、大量に 出土した 土器を 中心に、弥生 時代から 古墳 時代に かけての ようすを 亀塚 遺跡から きたがわの 遺跡を 北群と し、姫下 遺跡よりも みなみがわの 遺跡を 南群と して 紹介して いきます。

うん、さいきんの 調査で 鹿乗川 流域 遺跡群ってのは まっと ひろい 範囲に わたっとったって ことが わかっただ。で、この 鹿乗川 流域が 古代に おける 西三河の 中心だったって わけだね。

(「しりたい! 鹿乗川 流域 遺跡群」 展示の ようす)

「しりたい! 鹿乗川 流域 遺跡群」 展示の ようす 01
「しりたい! 鹿乗川 流域 遺跡群」 展示の ようす 02
「しりたい! 鹿乗川 流域 遺跡群」 展示の ようす 03
「しりたい! 鹿乗川 流域 遺跡群」 展示の ようす 04
「しりたい! 鹿乗川 流域 遺跡群」 展示の ようす 01020304

うん、この おねえさんは 弥生 時代の ひとでも 古墳 時代の ひとでも なく、遺跡の 発掘に かかわった 現代の ひとだけど、こんな ふうに 遺跡の なかに はいって 古代に おもいを はせて みるのも おもしろいだらな。ま、こんかい みたいな 展示も もちろん おもしろいけど、いまは 一面の たんぼに なっとる 遺跡群の どっかに、しまばたけと いっしょに 古代の 集落とか 再現して みても いいよね。

「しりたい! 鹿乗川 流域 遺跡群」 ポスター
「しりたい! 鹿乗川 流域 遺跡群」 ポスター


(さんこう)