先月2014年3月29日、安城市歴史博物館に「大交流時代-鹿乗川流域遺跡群と古墳出現前夜の土器交流-」展をみにいった。学芸員による案内のあるときをねらっていっただけど、あつまった「生徒」はわずかに4、5人で、「先生」もちょっときあいがはいらんかったかも。
展示してあったのはほとんどが土器。古代、わが古井町(ふるいちょう)からみなみの桜井町(さくらいちょう)にかけては集落が密集し、いまも土器がいっぱいでてくる鹿乗川流域遺跡群をなしとるだけど、でてくる土器はとおくからはこばれてきたものもいっぱいあって、いってみやあ「大交流時代」だったとのはなし。この鹿乗川流域遺跡群を中心とした西三河地域は当時文化の拠点のひとつだったらしく、おんなじように全国各地で拠点となっとったななつの地区との交流があった。ななつの地区は福岡のへん、出雲(いずも)、吉備(きび)、河内(かわち)、伊勢(いせ)、長野県のどっか、茨城県のへんのどっかのななつだったとおもう。くちのすぼまった土器をかめ(甕)っていうそうで、「ほれは食糧の貯蔵用だったのか」ってきいたところ、「ほじゃなくて、にたきする用だ」とのことだった。じっさいにごはんかなんかをたいたこともあって、ちゃんとたけたとのこと。ふ~ん。鹿乗川流域のほか全国7か所の地域の土器もたくさん展示してあって、それぞれのちがいをこんせつていねいに説明してもらっただけど、わかったようなわからんような(^_^;)
また、この大交流はふねの発達があったでこそとのこと。くりぶねから発展して、舷側板(げんそくばん)やたていたをつけた準構造船として、たかなみにもたえれるようにしたふねをつかったって。よういわれるように、むかしは陸上交通より海上交通のがだいじだったのかも。想像をたくましくせんと、古代はたのしくない。
△ 久宝寺で出土した準構造船
(さんこう)
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