あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

日本語の 滅亡 (アハ 247)

こんな 記事を みた。



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潮流:弱小言語を救済せよ=客員編集委員・黒岩徹


−(略)− ジプシーと呼ばれたロマ人の祖先が、北インドから西に移動したことも彼らの話す言語から判明した。言語こそ民族固有のものだった。


その言語が今、世界から失われつつある。−(略)−


だが、住民の努力で危機をはね返している例もある。例えば、アフリカ・コンゴ川流域の言語とポルトガル語、スペイン語の混ざった南米コロンビアのパレンケロ語。−(略)−孤立した村が20世紀に文明と接触し言葉も失われつつあった。パレンケロ語を救え、と地元教師らが教育の中にこの言葉を取り入れて危機を脱しつつある。


なぜ弱小言語の存続が大切なのか。


ペンシルベニア・スワートモア大のハリソン准教授(言語学)は


「言葉を失うとき、われわれは時、季節、動物、景色、神話などの何世紀にもわたる民族の考え方を失うのだ」

と文化の消失を指摘する。


〔潮流:弱小言語を救済せよ=客員編集委員・黒岩徹 - 毎日jp(毎日新聞 2008年4月22日 東京朝刊)〕
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この ように、民族の アイデンティティーで ある ことばを まもろうと する うごきが ある 一方、みずから 授業用語で ある ことを 放棄しようと する うごきも ある。群馬県 太田市の ことで ある。つぎの とおり。



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2003年4月、太田市の英語教育特区構想が構造改革特区第1号として認可された。


これは小学校から高校までの一貫教育校を設立し、国語などを除き、すべて英語で授業を行う(英語イマージョン教育)という構想である。太田市が中心となって学校法人太田国際学園(理事長は清水聖義市長)が設立・認可され、2005年4月よりぐんま国際アカデミー(初代校長はユージーン・E・クーパー)が開校する。


初年度は1年生(定員90名)と4年生(定員60名)が入学する。この先進的な取り組みに、国内外の教育関係者は注目している。


<ウィキペディアより>
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日本語を 授業用語から はずす ことは、日本語を 滅亡させる ための もっとも 効率の いい 手段だと おもう。




言語の かずを かぞえるってのは 至難の わざだろうね。6,000とか 7,000とか いわれとるけど、ほんとの ところは だれにも わからんと おもう。ヨーロッパで あれば、東京標準語と 東北、薩摩の ことば ほどの ちがいが あれば、れっきとした 外国語と して みとめられるね。


うん、ハングルの ほうが わかるかも・・・、って ほんと?^^


そうそう、ことばに みだれなんか ないんだよね。あたらしい ことばに 進化して いっとるんだよね。「ただしい 日本語を つかいましょう!」とか いう ひとは そこん とこが わかってないんだよね。


まろは・・・おもうさま・・たもれ・・・、だーれも つかっとらんけど、なんか 逆に 新鮮な ひびきだね ^^;。




日本人の よさ、日本語人の よさってのが ありますよね。すくなくとも 千年以上 日本人は 日本語で かんがえつづけて きたんですからね。自分たちの 伝統に ほこりを もちたいですよね。


日本語で 高度な 文化や 技術を あらわしえるんだから、一生懸命 日本語を みがかんと いかんですよね。




おてんとさま・・・、なつかしいね ^^。


こどもの ころは よく きいたけど、どんな つかいかた しとったっけぇ?


ハニーフラッシュ???




たしかに 「ゆかプラスふとん」の 日本、朝鮮、モンゴル 三国は、文法的に 主題を 最初に もって きて、述語が 最後に くるって いう 構造だね。


中国語、正確には 漢語は、動詞の あとに 目的語を もって くる かたちだね。


ひがしアジアに ついて いえば、すまいの 様式と ことばの 構造とが 関係が ある ようだね。




いや、こえ 十分に 魅力的だと おもうよ。しゃべるのも 不得意とは おもえんだけど・・・。てか だれも そう おもってないと おもうけど・・・。


> 『どちらにしようかな おてんとさまの いうとおり どぼんくしゃんしゅ』
うーん・・・、あんまり 記憶が ない・・・ ^^;。


たたみの 部屋が ないんだ! おれは ねるのとか たたみの へやだから それは こまっちゃうかも・・・。




参考までに、私の好きなブータン映画を紹介します。




ブータンの ひと、全員 英語が はなせるなんて すごいね。でも、いまは 大丈夫でも、だんだんと ブータンの ひとの もともとの ことばが 衰退して いっちゃうんじゃ ないかと おもうんだけど。


授業を おこなう ことばが 英語で あるって ことは すなわち、英語を 媒介せんと 近代文明に かかわる ことが できんく なるって ことじゃ ないかと おもう。


法律に ついて、経済に ついて、政治に ついて、文化に ついて、科学に ついて、技術に ついて、英語で なければ 表現が できんく なっちゃうと おもう。ブータンの ひとの もともとの ことばは 次第に 社会の 表舞台から さり、家庭内で もちいられる だけの ことばに なって いっちゃうんじゃ ないかと おもう。


明治初期、西洋文明を とりいれる ため、高等教育は 英語で おこなわれとったそうなんだけど (フランス語も あったかも しれん)、それを 日本語で いいあらわせるように して 授業も 日本語で できる ように して いったそうです。授業用語が 日本語に きりかわるに つれ 低下した 学生の 英語力に ついて、夏目漱石は、「わがくにの 文化が 向上した ことの あらわれで あり よろこばしい ことで ある」と いう 趣旨の 発言を したと ききます。


保存を かんがえた 時点で、その 文化が 現代に 適応せんく なっとるのでは ないかとの こと、まったく その とおりだと おもいます。


コメント ありがとう ございました。ブータンに ついては また 勉強しときます。




もちろん、外国語を まなぶ ことは 異文化を しるって いう 点でも 大切だと おもう。ましてや、世界の 文化を おしすすめる おおくの ひとびとの もちいる 英語を まなぶ ことは、コミュニケーションツールを みに つけるって いう 意味でも 非常に だいじな ことだと おもう。


『英語で』授業を やる ことに なっちゃったのが、教育方法論から でて きたってのは そう いう ことなんだろうね。こーんなに 英語の 教育を たくさん やっとるのに ひとびとの みに ついとらんのは どう いう ことなんだ、って いう ような 議論から きとるんだろうね。


でも 日本語と 英語、こんなに 構造が ちがうんだから 日本人が 英語が にがてで あるのは しごく 当然の ことと おもうんだけどね。もし、英語を 韓国語に おきかえれば、それを いちばん 簡単に 習得しちゃうのは 日本人だろうと おもう。世論は 必要以上に 日本人に 英語能力が かけとるって さわいどる ような 気が する。


英語が すきな ひと、研究や ビジネスで 英語を やる 必要が ある ひと、そう いう ひとたちは 学校で おそわった 英語を ベースに 自主的に やって いくんだから それで いいと おもうんだけど・・・。


日本語を 大切に しつつ 外国語を たのしく みに つけるってのは、なかなか むずかしいだろうけど、がんばって ほしいね。