2019年5月22日、恵那は中山道広重美術館にいって歌川国芳(うたがわくによし)のうきよえをみて、ついでに歌川広重(うたがわひろしげ)のうきよえをつくってきた。っていっても、やったのはさいごのする工程だけで、ボランティアのかたの指導をうけながら、しらがみに5回いろをつけて完成。作品は中山道六十九次の洗馬宿(せばじゅく)だけど、いや、えになっとるわ。
うきよえとは - 憂き世から浮世へ
うきよえとは、当世(浮世)の風俗をえがいたえだ。
この用語がうまれたのは、江戸時代初期、1681年から1684年までの天和(てんな)年間のころのことであった。そもそも古来の「うきよ」は、浄土の成仏がねがわれる来世にたいして、いとわれる「憂き世(うきよ)」としての現世をさすことばであった。しかし近世にはいると、つかのまのかりのよだでこそたのしくすごさあっていうかんがえかたが支配的になって、「憂き世」は「浮世」ってかきあらためられるようになった。
うきよえは、こうした享楽的な人生観にもとづいてえがかれる現世のえであり、したがって当世流行の風俗や話題を提供しつづけることが本質的なすがたっていえる。
ほいで、うきよえにとってもっともふさわしい「浮世」は、たんなる「いま」ではなく、もっとも享楽的な現実のばである悪所(あくしょ)〔遊里(ゆうり)、芝居町(しばいまち)〕であったこともみのがしてはならん。うきよえの主要なレパートリーである美人画(びじんが)、役者絵(やくしゃえ)はともに悪所をえがいたもんだ。
現在では、にほん美術の代表的な存在としてひろく国内外での知名度をえとるうきよえだけど、これが好色な風(ふう)を濃厚にただよわせた悪所を母体としたもんだったこと、また江戸っていう一都市の、しかも庶民階級の文化だったことをおさえておきたい。
(さんこう)
- じょうずにできたかなー。…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年5月22日14:35
- じょうずにできたかなー。浮世絵をすってみた♪ 大井宿は中山道広重美術館で。