あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

伊能忠敬 測量隊の 書状を 浜松の 郷土史家が 発見

江戸 幕府の 天文かたと して 測量に 貢献した 伊能忠敬 (いのう ただたか; 1745年から 1818年)が 浜名湖 周辺を 測量した 際、現地に 協力を 依頼した 書状が、浜松の 郷土史家の 自宅で みつかっただげな。


みつかった 書状



  • 1805年の 第5次 測量で 浜名湖 周辺に はいる 半つき まえ、さきぶれと して 伊能忠敬 測量隊が 浜松宿に おくった 「天文方御用急回状」で、現地に 調査の 実施を つたえ、協力を よびかける もの。
    測量隊が もちあるく 原本の うつしを 現地に おくり、さらに 浜松宿の 役人が かきうつして 各 むらに まわす 方法で つたえられた。

  • たて 20センチ、よこ 5メートルの 書状に 文字が びっしり つまり、伊場、浅田、明神野 (現 神田、以上 浜松市 中区)、東若林、若林、増楽、高塚 (以上 浜松市 南区)の 7村に あてられとった。
    天文方御用急回状と 御測量御用村々書上帳を まえに する 神谷昌志さん (ちゅうにち)
    天文方御用急回状と 御測量御用村々書上帳を
    まえに する 神谷昌志さん (ちゅうにち)

  • 案内人や 宿泊地、食事の てはいから、「雨天で 測量できん ばあい、器材を おく 土地を 用意して ほしい」と いう 要望も しるされ、あらかじめ 街道 ぞいの むらむらの 状況を 把握しようと、いえの かずや 寺社の かず、街道上の ながさを しるした 書状の 提出も 依頼しとる。

  • 7村の いえや 寺社の かず、街道上の ながさを しるした 「御測量御用村々書上帳」も いっしょに みつかった。現地から 調査隊に 返信した 書状の うつしと みられる。


発見した 浜松市 中区 尾張町の 郷土史家 神谷昌志さん 81才



  • 神谷昌志さんは ちち 尊治さんの 遺品から、保存されとった 回状を 偶然 発見した。

  • 半世紀に わたり じもとを 研究し、浜松史蹟調査顕彰会の 専門 委員を つとめる 神谷昌志さんでも、浜松市史や 新居町史、細江町史などで 回状の 存在を 確認した ことは なく、「はじめて みるし、きいた ことも ない」と おどろく。

  • 浜松市 東区 下石田町に ある 尊治さんの 実家は 代々 むらかた (村方)を つとめた 豪農だったで、「めぐり めぐって てに はいる 可能性は 当時 十分 あった」と 神谷昌志さんは みる。

  • 神谷昌志さんは 2011年 2月 いつか、みずからが 講師を つとめる 浜松市賀茂真淵 記念館の 講座 「伊能忠敬の 浜名湖 測量 紀行」で、午後 1時 半から 約 2時間の 講演会を おこない、回状も 披露する。


伊能忠敬 記念館でも



  • 千葉県 香取市の 伊能忠敬 記念館でも 「現地の 測量 てじゅんを しる うえで 貴重だ」と みとる。現在、べつの 地域あての 回状も 12点 所蔵しとるだけど、担当者は 「当時の むら 役人の なが あり、そこで さらに 史料が みつかる 可能性も ある」と 今後の 進展に 期待する。


伊能忠敬の 第5次 測量



  • 1800年から 17年 かけて おこなわれた 10回の 測量の うち、東海道から スタートし、畿内、中国、北陸を まわる ルートで、1805年 3月から 1806年 10月に かけて おこわれた もの。

  • 伊能忠敬の 著書 「測量日記」に くわしく かいて あるだけど、浜松は 2年 まえの 第4次 測量で 米津 (現 浜松市 南区)まで おえ、3月 17日に つづきを はじめた。

  • 舞阪、庄内(浜松市 西区)、気賀、三ケ日(浜松市 北区)と 浜名湖を ひだりに まわって、3月 28日に 新居 (現 湖西市)に たっした。


「天文方御用急回状」とかを めの まえに したら、近代 以前の 江戸 時代っちゅう 時代に、世界に ほこる 精度の 地図を つくった 伊能忠敬の 情熱が じかに かんじれるだらな。2月 いつかは 用事が あって みに いけんだけど、べつの 機会に ぜひ みに いきたいな。




(ねたもと、さんこう)