あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

姫小川古墳 現地説明会=あした 10時 半 (あんみつ)

あしたの 10時 半から 30分 ていど、姫小川古墳 (ひめおがわこふん)の 調査結果現地説明会が あるそうだ。



姫小川古墳の 範囲確認調査の 結果、後円部の 周囲に 壕が めぐっとる ことが あきらかに なった。

【姫小川古墳について】
姫小川古墳は 約 20基ほど ある 桜井古墳群を 構成する 古墳の ひとつで、全長 66mの 古墳時代前期の 前方後円墳。1927年に 二子古墳と ともに 内務省に より 国史跡に 指定される。
前回の 調査 (2008年 1月から 3月)で、
・墳丘長は 66mぐらいで、葺き石や はにわは もともと なかった こと、
・後円部の 周囲には 壕が 存在した 可能性が たかい こと、
・前方部は 江戸時代の 薬師堂の 造営に ともなうと みられる 整地に より そうとうに 改変を うけて おり、築造当初は 台形と いうより 長方形に ちかかったと おもわれる こと
などが 判明した。
【今回の 調査の目的】
前回の 調査で 存在が あきらかに なった 壕が、どこまで つづいとるのかを 確定する こと。











姫小川古墳 周壕 あ 姫小川古墳 周壕 い
姫小川古墳 平面図
周壕 あ
周壕 い

【調査の 成果】
前回の 調査区の うち、神社の にしがわ(A区)と きたがわ(B区)に ついて 調査区を 延長して 調査を 実施。
A区では はば 10m 前後の 壕が みつかった。B区でも はば 8m 前後の 壕が みつかった。古墳に ちかい ほうは、奈良時代ごろに けずりとられとる ようで、本来の 形状を とどめとらんが、そこと そとがわの たちあがり部分は 古墳の 壕で あると かんがえられる。
いずれの 壕も、みつかった 遺物の 大半は 奈良時代 以降の 土器だ。これは、古墳を 築造した ときに ほられ、奈良時代 くらいまでは うめたてられずに のこっとったが、その あとに 徐々に うまって いったのでは ないかと かんがえられる。






姫小川古墳 位置図
姫小川古墳 位置図

前回と 今回の 調査の 結果、姫小川古墳は はにわや 葺き石を もたず、すくなくとも 後円部の まわりには 壕を めぐらせとる 古墳で ある ことが あきらかと なった。この ことは 二子古墳、姫塚古墳の 調査でも 同様の 結果だった ことから、桜井古墳群の 特徴と なる可能性が かんがえられる。
【現地説明会】
2月 はつか 午前 10時 半から 30分 ていど
※ 周辺には 駐車場は ない (桜井駅から あるいて 5分ほど)


あ〜、せっかくだけど あしたは 千葉まで いく 用事が あるので みに いけん・・・。




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(さんこう)