あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

私が考える職員の意識改革

なぜ職員の意識改革が必要なのか


行政改革が叫ばれて久しい。戦後の高度経済成長が終わり、1980年代後半から1990年代初頭にかけてのバブル景気もはじけ、経済の建て直しとともに行政の効率化が求められるようになったものである。経済の低迷や少子高齢化の進展、環境問題への対応など、行政を取り巻く状況は厳しく、民間並みの効率性志向が必要とされるに至った。これまでも政府の主導で地方自治体でも組織や機能の改革が訴えられ、様々な取り組みがなされてきたのだが、なかなか成果を挙げるには至っていない。その原因は職員の意識改革が十分に進んでいないからではないかと思われる。外見だけを改革しても中身が旧態のままでは、新しい時代に対応する組織とはならないのであり、これが職員の意識改革が求められる最大の理由である。


職員の意識改革を阻むもの


行政の性格上、競争が求められないことがその原因であると思うが、効率を求めなくてもその自治体にかわるほかの自治体はなく、上から決められたことをやっていればいいという状態が続いてきた。行政に特徴的なことは、前例主義と予算消化主義である。前例主義は、現状維持を望むためのことなかれ体質である。また、予算消化主義とは、手続きどおりに業者を選定し、手続きどおりの指示をして、手続きどおりの検収を行うということであり、その内容の良否は考慮されない。
また、公務員生活において、管理職になること自体が目的となってしまい、管理職としての職能を発揮することを目指さないことも、意識改革を阻む大きな要因であると思う。課長になったとして、そこを「上がり」のポジションとして安住してしまうのでは、部下の意識改革もままならない。部下は上司の一挙手一投足をつぶさに見ている。課長が率先して、すこしでもよい仕事をして住民によろこばれたいというチャレンジ精神をもつことが、部下にも意識改革の気持ちを芽生えさせる前提となる。


仕事の管理過程における部下への意識改革の植え付け


課長などの管理職が意識改革の重要性を認識したとして、前線で働く部下が意識改革をしなければ何にもならない。各部署ごとにおいてもそれぞれ多岐にわたる仕事は、統一的な意思をもったチームとして取り組んでこそ、その目的を達成することができるのである。そこで、管理職すなわちマネージャーは、チームの仕事を統括し、部下を通して仕事の成果をあげることになる。仕事の計画を立て、部下に仕事を割り当て、指示を出し報告を受け、進捗状況を確認し、必要に応じた処置をおこなうという、一連のマネジメントを実施する。
まずは計画立案の段階で、効率改善につながる方策や市民の求める施策を盛り込むのである。具体的には、本市でも実践している行政改革集中プランや品質マネジメントシステム、事務事業評価などを活用する。あとはマネジメントの各過程で部下と密接にコミュニケーションをとりながら進めていく。大事なのは、この過程を強制しないことである。やらされる意識では人間は動かない。「自ら成長しよう。変化に適応しよう。」という人間の意識を生かすのである。部下の意見も積極的に計画に取り入れるとともに、実行段階では、よく仕事ぶりを見守り、必要に応じて適切な助言をおこない、成果が出ればほめてやる。「やって見せ、言って聞かせて、させて見て、ほめてやらねば人は動かじ」ということばを聞いたことがあるが、親身になって指導にあたらなければ部下は動かない。


仕事の改善


部下に意識改革を植え付けたとして、実際の仕事の改善である。仕事の改善、環境の改善、時間の改善、情報の改善など、職場には解決すべき様々な問題があるのだが、肝心なことはいかに効率的に仕事をおこない、生産性を向上させるかということである。職員は常に問題意識をもって仕事をおこなわなければならない。問題のない職場はないのであって、問題解決能力、ひいては政策形成能力が職員には求められるのである。また、そのためには創造性を発揮することも重要であり、個人個人の自己啓発も図っていかなければならない。


情報システム課における改革


最後に自分の職場の改革について述べる。情報システム課の仕事には、「情報化の推進」「情報システムの運用」「情報システムの開発」「情報セキュリティの確保」があり、これまでは「コンピューターやパソコンを使ってとにかく業務を処理すること」が主眼であったが、これからはただ業務を処理するだけにとどまらず、いかにシステムの中断時間を減らすか、いかに処理の正確性を高めるのか、いかに少ない経費でシステムを運用するのか、などそれぞれに数値化をおこない業績の向上を図っていくようにしたい。