あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

(中日新聞 社説) 歴史の はぐるまが まわった

政権 交代が おこった よくあさの 中日新聞 社説で ある。




歴史の はぐるまが まわった 民主が 席巻 自民 落城


2009年8月31日


政権が かわる。民意は 自公 政治の 継続を ゆるさず 野党の 政権を 選択した。憲政 史上 はつの できごとだ。歴史の はぐるまが まわり、あらたな 時代の かどぐちに、わたしたちは たつ。


つかんでも つかんでも ゆびの あいだから こぼれる すな。選挙の 帰趨(きすう)を 左右する、特定の 支持 政党の ない 有権者の きまぐれを、かつて 中曽根康弘氏が すなに たとえた ことが ある。


とらえどころの ない、そんな すなが、明確な 意志を もった。「政権を かえる」と いう 意志で ある。


4年 まえの 「郵政 民営化か いなか」とは 次元が かなり ことなる。一票に こめられた 変革への 欲求が、ひとかたまりと なって 野党に 政権の 座を 用意したのは、憲政 史上 例が ない。




「鳩山」「一郎」 政権


ながらく 「自民 王国」と 称された 保守 地盤が のきなみ くずれた。自民党の 総理 大臣 経験者や 現職 閣僚、要職を 歴任した おおものたちが 退場を 余儀なく され、あるいは おびやかされた。


メディアの たびかさなる 民主党 圧勝 予測にも 有権者は 動じず、ふるくからの 支持者ですら 粛々と 自民 政治に わかれを つげた 観が ある。


政権 交代を ためらう 世間の 空気は うすれて、衆院 小選挙区制の 威力が いよいよ 発揮されたのだ。


民主の かおと なった 鳩山由紀夫 代表は 「保守とか 革新とかの 時代では ない」と 保守層に よびかけ、抵抗感を うすらげるのに 成功した。


くろこ役に 徹した 小沢一郎氏は 代表 当時と かわらぬ 指揮の さえを みせた。自民 政治を 地域で ささえた 農村 組織や 建設、医療 団体に くさびを うちこんだ。敵陣からの候補の擁立も、えげつなく。


新人 候補に “どぶ いた” 選挙を 徹底させた。公明党 幹部の 選挙区を 激戦に もちこんで、自民の たのむ 創価学会の うごきを 封じても おる。


おもての かおと うらの かおが 小選挙区 効果を 倍加させた 印象も ある。自公に とってかわって 衆院を 席巻した 民主の 政権は 「鳩山」「一郎」 政権と なづけるのが ふさわしい。




一変する まつりごとの 風景


ちなみに 鳩山由紀夫氏の 祖父 一郎氏は 自民の 結党を はさんで 1954年から 2年 あまり、政権を 担当した。党の 50年史は こう しるしとる。


「大胆な 行政 改革 構想を 提起して 官僚 政治を 排し、政治 主導、内閣 主導の 政策 決定の 方向に すすむ 意気ごみを しめした。こうした 課題は いつの ひにか かならず 実現されるべき 民主 政治の 大目標で ある」


選挙戦で 民主党が くりかえし となえたのが、この 「明治 以来の 官僚 主導 政治からの 脱却」だった。


過去 半世紀、歴代 自民党 政権が くちには しながら おこたって きた 「実現されるべき 大目標」が、鳩山、小沢 両氏を はしらと する 民主 政権に ゆだねられる ことに なる。


鳩山 代表ら 党 首脳は ただちに 政権 移行 チームを 編成し、9月 なかばと 想定する 民主党 内閣の 発足へ 脱官僚の 体制 づくりを いそぐ。


霞が関の 役人が 族議員や あまくだり 予定さきの 業界と 一体で リードして きた たてわり式の 予算 配分。その 惰性を たち、政策の 優先 順位を 政治が きめる。くにが 主、地方は 従の 中央 集権を 地域 主権へと 転換する。いずれも 時代の たしかな 要請だ。


外交、安全 保障の ありようも 旧来の 官僚 まかせを あらためられると すれば、政治の 風景は 一変する。小勢力の 社民党国民新党などは 民主との 連立を おりこみ、共産党も 是々非々の 協力を 表明しとる。


全国 各地の 投票所に 列を なして 民主に 大勝利を あたえた 民意が、政権 担当の 力量を この 党に みとめたのかは あやしい。むしろ 「より ましな 政権」へ なだれを うったと みる ほうが いいかも しれん。


それでも、自民党が 官僚 機構と つくりあげた、盤石にも みえた あつい かべは もろくも つきやぶられた。「日本を こわすな」と 劣勢に あせりの こえを あげた 麻生太郎 総理 大臣らを かえりみる こと なく、有権者は 欲する 政権を じかに えらんだ。歴史に きざまれる 2009年 衆院選で あったのだ。


自民は 完膚 なきまでに うちのめされた。ちちから こ、親族へと、あたりまえの ようだった 世襲、そして 平成の 大合併や 組織票 依存で あしこしが よわった 党は、時代が 必要と しなく なったようにも みえる。


連立を くんで 10年、ともに 自民 政権の 危機を 首相の すげかえで のりこえて きた 公明も 代表と 幹事長の 議席まで うしなった。協力 関係の 継続は むずかしかろう。両党に はたして 復元力は あるか。


老後の 年金や 医療、雇用に つのる 不安、教育にも およぶ 格差 社会の 不公平に 有権者は いかり、政官の なれあい、しがらみの 政治との 断絶を うながした。自公に かわる 民主の 政権は それに こたえる 責務が ある。




政党 政治を こわすな


経験の ない かずを えた 民主は むだなく 巨体を うごかす 秩序 づくりが 急務だ。死屍累々の 自民は 後継 総裁 えらびと 党 再建に おわれよう。


大量 議席に 政権がわが おごり、落城した がわが 混迷を つづけるなら、政党 政治は こわれ、二大 政党 体制も まぼろしと なる。監視が 必要だ。有権者の しごとは 投票だけで おわらん。




中日新聞:歴史の歯車が回った 民主が席巻 自民落城:社説(CHUNICHI Web)|2009年8月31日

有権者が この くにに 関心を もちつづける ことが だいじだと おもう。