あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

いまこそ軍事出動のときだぞ - にほんタンカー砲撃うけ

いまこそ軍事出動のときじゃないか。2019年6月13日、ペルシャ湾いりぐちのホルムズ海峡で、にほんのタンカーが砲撃をうけた。護衛のための艦船を派遣するなりなんなりの軍事出動をおこすべきなのに、事件からみっかめをむかえて、社会にほういう機運がたかまっとるようすがないのがはがゆい。


(さんこう)

すっぴんでなまえよばれた - 2019年6月いつか

すっぴんでなまえよばれた。「かぎをかう」っていう表現が話題になって、「かう」のアクセントは頭高ですよってツイートしたら、ラジオ放送のなかで紹介してくれた。ばんぐみに参加できたみたいで、なんだかうれしい^^


(さんこう)

奥山かずささんの始球式、かっこいい! - 2019年5月29日

2019.5.29 弘前市運動公園野球場 - 奥山かずささん (1) 322-500

いや~、かっこいいにもほどがあるわ。2019年5月29日、弘前市運動公園野球場で始球式をつとめた奥山かずささん。

2019.5.29 弘前市運動公園野球場 - 奥山かずささん (2) 310-500 2019.5.29 弘前市運動公園野球場 - 奥山かずささん (3) 330-500
2019.5.29 弘前市運動公園野球場 - 奥山かずささん (4) 500-454

きれいなフォームからストライクをきめて、やったーっ!のポーズ。ベンチにもどるときには、マスコットのクラッチーナとハイタッチ。

2019.5.29 弘前市運動公園野球場 - 奥山かずささん (5) 371-500

これみれたひと、しあわせだったよね。


(さんこう)

『三州西尾の岩瀬文庫』 - 斎藤吾朗画伯

2019年4月26日、西尾市役所で斎藤吾朗画伯の『三州西尾の岩瀬文庫』っていうえをみてきた。っていうか、たまたま市長室のまえにかざってあったのをみてきた。

2019.4.26 斎藤吾朗画伯「三州西尾の岩瀬文庫」 1940-1510

おくのほうに、書庫をはじめとする岩瀬文庫のたてもんがいくつかあって、背景に西尾のまちのいくつかのたてもん。ほのみぎのほうには西尾鉄道の汽車。ほいで、どういうわけか書庫のたてもんのりょうわきのやねのへんのたかさにふたりのひとがおる。ひとりはきっと岩瀬文庫をつくったり、西尾鉄道をはしらせたりした岩瀬弥助にちがいない。岩瀬文庫のにわには、おとずれたひとたちがいっぱいおる。おおきなテーブルのうえで、ほんをひろげてよんどるひともおるか。みぎのほうにはいけがあって、ほのみぎにはおおきなおりもみえる。動物園のおりか。
てまえ3分の2ぐらいは、ほんがびっしりひろげてある。えのはいったほんがおおいか。ほいで、ひだりてまえにどういうわけかいし灯篭がたっとる。
なんだかてんこもりのえだ。

2019.4.26 三州西尾の岩瀬文庫 - 説明がき 1260-1830

となりに斎藤吾朗画伯自身の説明がきがあって、よんでみる。

三州西尾の岩瀬文庫
2010年は独立展出品作に合併まえの「吉良さん人生劇場」をえがいたが、ことしはよりみぢかな岩瀬文庫をえがいた。あるいて5分の地にあるにほんゆいつの古書ミュージアムをつくった岩瀬弥助さんをえがいておかなければとおもっていたからだ。
西尾市須田町の肥料商山本屋をついだ弥助はひたむきな努力とときのながれにのって三河ずいいちの商人となり31才で西尾町長になった。ちいさいころからなによりの読書ずきがこうじて古書を収集し、図書館を独力でつくり地域のひとびとに公開しようとかんがえ、神田古書店だけでなく韓国、中国からも古書を購入した。
1908年5月むいか岩瀬文庫は講堂、閲覧室、婦人閲覧室、児童館、音楽室、製本室などをそなえる堂々たるすがたで開館した。にわにはさる舎くま舎こいのいけから果実(やまもも、なし、かき、ぶどう、ぐみなど)のきをうえ、回転式読書台などさながら遊園地のようだったという。書物はいっさいかしだしをしないかわりに、筆写用の宿泊所まで併設されていた。
200号のキャンパスには往時の岩瀬文庫のすがたと弥助翁肖像画若年、晩年の2体えがき、画面の下方はんぶんに稀覯本(きこうぼん)をえがいた。枕草子古事記日本書紀万葉集徒然草方丈記北斎漫画、富嶽百景学問のすすめ里見八犬伝から本草学(ほんぞうがく)などの類までをびっしりとえがいた。文字も臨書したのですごくてまどった。あぶらえのぐはこまかい線を描くのはむづかしいがあえてチャレンジした。
アメリカ個展のとき、コロンビア大学にほん文化研究所のバーバラ・ルーシュ教授が西尾の岩瀬文庫にいかなければにほん文化の本質はわからないとしみじみいわれた。海外の学者のあいだでは岩瀬文庫はたかい評価なのに、西尾市民の認識度はまだまだひくい。そうした現状をうれい、岩瀬文庫はほんとは世界のたからなんだよ、西尾市民がそのたからをまもっているんだよということをしってほしい一念で3か月間ねるまもおしんでえがいた。弥助は岩瀬文庫だけでなく西尾高等女学校西尾蚕糸学校西尾中学校西尾小学校設立にも多大な貢献をしている。病弱だった長男真一郎さんの代になり岩瀬文庫のほとんどは西尾市に寄贈されているが、その価値は金鉱以上のおもさがある。
東京市日比谷図書館の設立が1906年、愛知県の代表的図書館である名古屋市鶴舞図書館の開設は1923年、その状況をおもうと1908年創設の岩瀬文庫のすごさをかんじずにはいられない。
西尾鉄道創設にも尽力した岩瀬弥助さんをこころより尊敬している。
斎藤吾朗
2019.4.26 三州西尾の岩瀬文庫 - 斎藤吾朗 940-690
三州西尾の岩瀬文庫斎藤吾朗/2011年作:油彩/寄贈:(かぶ)アジオカ=味岡源太郎

なるほど、ふたりのひとは岩瀬弥助のわかいときと、としくってからとだっただ。おおきなテーブルは回転式読書台だった。いや、いまの図書館だってほんなもんないじゃないか。いけはこいのいけだって、おりはやっぱり動物園だった。まるで遊園地だね。かしだしをせんかわりに筆写用の宿泊所を用意しとったってのもおどろきだ。じつにおもしろい図書館だ。えのはいったほんがいっぱいっておもったのは、稀覯本(きこうぼん)、めったにないめずらしいほんだった。こんな岩瀬文庫を画伯は「世界のたからだ」っていっとる。「ほの価値は金鉱以上のおもさがある」とも。岩瀬弥助が西尾高等女学校はじめいくつかの学校の設立に貢献しとるってのはしらんかった。西尾高等女学校はわが母校西尾高校の前身だ。ほんなとこまでかかわっとったとは。
画伯は、世界的にも評価のたかい岩瀬文庫を世界のたからだっていう。ただ、西尾市民にはじゅうぶんに認識されてない。岩瀬文庫がすごいってことをしってほしい。西尾市民がほのたからをまもっとるってこともしってほしい。ほんなおもいで、画伯はこのえをねるまもおしんでかいたっていう。おもいのいっぱいこもったえだっただ。いや、じゅうぶんにつたわってきたよ。

高額の放映権料をはらっとるテレビ局の利益をまもる - 2020年東京オリンピック

東京オリンピック、競技会場で動画投稿しちゃあいかんだげな。高額の放映権料をはらっとるテレビ局の利益をまもるためだげな。ほー。

リオデジャネイロオリンピックの開会式(あさひ) 640-426
△ リオデジャネイロオリンピックの開会式(あさひ)


(さんこう)

グランパス第13節は山雅にまける - 2019年5月26日

2019.5.26 (43) 豊田スタジアム - グランパスたい山雅 2000-1500
2019.5.26 (44) 豊田スタジアム - グランパスたい山雅(エアーアジア) 1520-1600 2019.5.26 (45) 豊田スタジアム - グランパスたい山雅 2000-1500

2019年5月26日は豊田スタジアムで山雅と対戦。前半、グランパスのシュートはたった1本で、あいてに先制をゆるす。后半、赤崎からかわった前田ががんばってなんぼんもシュートをうったけど、けっきょく 0 たい 1 のまま敗戦。あのわくわくするような攻撃はいったいどこへいっちゃったのか。ルバンカップのつかれがあったのかもしれんだけど、サッカーって微妙なもんなだ。またつぎに期待。


(さんこう)

中山道広重美術館でうきよえ体験 - 2019年5月22日

2019.5.22 (1001) 恵那 - 中山道広重美術館(うきよえ体験) 1920-1080

2019年5月22日、恵那は中山道広重美術館にいって歌川国芳(うたがわくによし)のうきよえをみて、ついでに歌川広重(うたがわひろしげ)のうきよえをつくってきた。っていっても、やったのはさいごのする工程だけで、ボランティアのかたの指導をうけながら、しらがみに5回いろをつけて完成。作品は中山道六十九次の洗馬宿(せばじゅく)だけど、いや、えになっとるわ。

2019.5.22 (66) 恵那 - 中山道広重美術館(うきよえとは) 1500-2000
うきよえとは - 憂き世から浮世へ
うきよえとは、当世(浮世)の風俗をえがいたえだ。
この用語がうまれたのは、江戸時代初期、1681年から1684年までの天和(てんな)年間のころのことであった。そもそも古来の「うきよ」は、浄土の成仏がねがわれる来世にたいして、いとわれる「憂き世(うきよ)」としての現世をさすことばであった。しかし近世にはいると、つかのまのかりのよだでこそたのしくすごさあっていうかんがえかたが支配的になって、「憂き世」は「浮世」ってかきあらためられるようになった。
うきよえは、こうした享楽的な人生観にもとづいてえがかれる現世のえであり、したがって当世流行の風俗や話題を提供しつづけることが本質的なすがたっていえる。
ほいで、うきよえにとってもっともふさわしい「浮世」は、たんなる「いま」ではなく、もっとも享楽的な現実のばである悪所(あくしょ)〔遊里(ゆうり)、芝居町(しばいまち)〕であったこともみのがしてはならん。うきよえの主要なレパートリーである美人画(びじんが)、役者絵(やくしゃえ)はともに悪所をえがいたもんだ。
現在では、にほん美術の代表的な存在としてひろく国内外での知名度をえとるうきよえだけど、これが好色な風(ふう)を濃厚にただよわせた悪所を母体としたもんだったこと、また江戸っていう一都市の、しかも庶民階級の文化だったことをおさえておきたい。


(さんこう)