あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

柴田崇史展みてきた

あんじょう市民ギャラリーに柴田崇史展みてきた。すばらしい。作者自身による解説文にもおおいに共感。

2023.1.15 (1) 柴田崇史展 - つきのふね 1730-1365

つきのふね
いわえのぐ|麻紙|銀箔/F50号/2021年
安美展「あんじょう市長賞」受賞

つまがむすめを出産したときにいのちの神秘をかんじてかいた作品です。画面のうえはんぶんは「生」を、したはんぶんは「死」をあらわしており、こどもがうまれるまでのいのちの不安定さや成長のふしぎさがえにこめられております。おそらくきみょうなうまはわたし自身です。

2023.1.15 (3) 柴田崇史展 - さきもりのいえ 1830-1485

さきもりのいえ
いわえのぐ|麻紙/F100号/2009年

万葉集の「さきもりにいくはたがせととふひとをみるがともしさものおもひもせず」(訳:「『さきもりにいくのはだれのだんなさんなの』ときいとるひとがうらやましい。なんのうれいもないでしょうから」)といううたから着想をえてかいた作品です。「さきもり」とは7世紀の后半に、せめてくる外国からにほんをまもるために九州のまもりにつかされたひとびとのことです。とりのこされた家族はきっとたいへんなおもいをしたことでしょう。

2023.1.15 (5) 柴田崇史展 - とらわれのリアル 2100-1510

とらわれのリアル
いわえのぐ|麻紙|銀箔/P150号/2005年
アーツアンドエコロジー展出品作品

くものすのようにはりめぐらされた電線にからまるひとびとをみてください。このえは、当時、わたしの在籍しとった大学が「環境保護とアートの関係」をテーマにしておこなった展覧会の出品作品です。人類が文明をきずいてべんりなよのなかへと発展するいっぽうで、環境は破壊され、電線はくものすのようにそらにはりめぐらされ、かえって不自由になっとるような現代の状況をかいてみようとおもいました。当時よりもインターネットが普及してきた現在は、さらにみうごきのとれん不自由な時代なのかもしれません。

2023.1.15 (7) 柴田崇史展 - にほんがってなに? 1000-1360

にほんがってなに?

わたしが、ひとに「にほんがをかいております」というと、「水墨画のこと?」とか「にほんがってなんですか?」とよくいわれます。にほんがとは、かんたんにいうとにほんで千数百年まえからかかれとるえのえがきかたのことです。和紙やきぬ、き、かべなどに、すみ、いわえのぐ、胡粉(ごふん)、染料などの天然のえのぐをつかい、にかわという接着材をまぜてえがく技法がもちいられます。また、金箔などの金属材料をはるなど、工芸のような要素もあります。

  • いわえのぐは、いろのあるいしをこまかくくだいたすなのようなもので、にかわとまぜてつかいます。つぶのおおきさがいろいろあって、「1番」がいちばんつぶがおおきく、「13番」まで数字がおおきくなるにつれてつぶがちいさくなり、「白(びゃく)」がいちばんこまかくてしろっぽいいろになります。つまり、こまかいすなをぬっていく感覚です。いろをかさねてもしたのいろがすけてみえるので、いろのかさなりがきれいでマットなかんじになるのがとくちょうです。
  • 胡粉(ごふん)は、イタボガキというかいのからをすりつぶしたものをつかいます。
  • すみは、あぶらをもやしてできたすすをにかわとまぜてねったものです。
  • にかわは動物のかわやほねをにだしてつくった接着材です。

このように、にほんがは天然の材料をつかうことがおおい、むかしながらのえがきかたなのです。てまはかかりますが、そのぶん、いろがきれいだったり、さまざまな技法がつかえたりして、とても魅力的なものです。ぜひ、えのちかくによってその表面をみてみてください。きっとざらざらしたすなのようなものがついとるのがわかるとおもいます。この展覧会をとおしてみなさんにすこしでもにほんがについてしっていただけるとうれしいです。

柴田崇史