原爆にころされた少年。長崎の爆心地から700メートルの地点で、すみのようになって死んどった少年。こんなことやっていいわけないだら。こんな無差別大量殺人やっていいわけないだら。
きょう2022年8月ここのか、東別院会館でみてきた原爆と戦争展の展示資料にあった写真だ。ほいから、写真といっしょにのっとった峠三吉ってひとの詩じゃあ、こんなころされかたをしたことを、「にほんじんぜんたいにきざみこまれた屈辱だ」っていっとる。ほんとに、なんでこんなはずかしめをうけにゃいかんかっただ。
峠三吉「そのひはいつか」(ばっすい)
ころされたきみのからだをだきおこそうとするものはない やけぬけたもんぺの羞恥をおおってやるものもない そこについた苦悶のしるしをぬぐってやるものはもちろんない つつましい生活のなかのたたかいにせいいっぱいつとめながら つねにきよわなほほえみばかりにいきてきて しだいにふくれるやさしいおもいをむねにおさえた いちばんはじらいやすいとしごろのきみの やわらかいしりがてんぴにさらされ ひからびた便のよごれを ときおりとおる死体さがしのひとかげが ほうけた表情でみてゆくだけ
それは残酷 それは苦悩 それは悲痛 いいえそれより この屈辱をどうしよう! すでにきみは羞恥をかんずることもないが みたもののめにやきついて ときとともにあざやかに こころにしみる屈辱、 それはもうきみをはなれて にほんじんぜんたいにきざみこまれた屈辱だ!
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