あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

原爆にころされた少年

2022.8.9 (6-1) 「なんでこんなめにあわにゃならんのか」 1960-960

原爆にころされた少年。長崎の爆心地から700メートルの地点で、すみのようになって死んどった少年。こんなことやっていいわけないだら。こんな無差別大量殺人やっていいわけないだら。

きょう2022年8月ここのか、東別院会館でみてきた原爆と戦争展の展示資料にあった写真だ。ほいから、写真といっしょにのっとった峠三吉ってひとの詩じゃあ、こんなころされかたをしたことを、「にほんじんぜんたいにきざみこまれた屈辱だ」っていっとる。ほんとに、なんでこんなはずかしめをうけにゃいかんかっただ。

峠三吉「そのひはいつか」(ばっすい)

ころされたきみのからだをだきおこそうとするものはない
やけぬけたもんぺの羞恥をおおってやるものもない
そこについた苦悶のしるしをぬぐってやるものはもちろんない
つつましい生活のなかのたたかいにせいいっぱいつとめながら
つねにきよわなほほえみばかりにいきてきて
しだいにふくれるやさしいおもいをむねにおさえた
いちばんはじらいやすいとしごろのきみの
やわらかいしりがてんぴにさらされ
ひからびた便のよごれを
ときおりとおる死体さがしのひとかげが
ほうけた表情でみてゆくだけ

それは残酷
それは苦悩
それは悲痛
いいえそれより
この屈辱をどうしよう!
すでにきみは羞恥をかんずることもないが
みたもののめにやきついて
ときとともにあざやかに
こころにしみる屈辱、
それはもうきみをはなれて
にほんじんぜんたいにきざみこまれた屈辱だ!

2022.8.9 (6) 「なんでこんなめにあわにゃならんのか」 1300-1860