みこさんが上半身にきとるしろいこそでって、もともとはしたぎだっただげな。じゅうにひとえこそがおもてぎで、したぎとしてきとったのがこそでだっただげな。ほいで、下半身のしたぎがゆもじ。しろいゆもじがふつうだっただけど、遊女がつけとったあっかいゆもじをふつうのひともつけるようになっただげな。
独自の進化をとげたこそで
きもんはもともとしたぎだった
きもんの起源が「こそで」だ。こそではそでぐちがちいさい和服全般をさす。「平安時代には、宮廷につかえる高位の女官がきとった唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく/俗にいう十二単(じゅうにひとえ))のしたぎにもちいられておりました。ほのあと、時代がくだるにつれておもてぎだったはかまやもは省略されるようになり、こそでのみがのこって、現代のきもんへとかわっていきました」(作家鳥山仁氏)
神社でみこがきとる白衣(びゃくえ)がこそでだ。これにひいろのはかまをはき、一般的なみこ装束となる。「元来、しろのこそでははだぎであり、現在のみこ装束はしたぎが露出した状態なのです」(作家鳥山仁氏)
遊女がおびをまえでむすぶ理由
おいらんはおびをまえでむすんどる。がらやししゅうがようみえるむすびの部分を正面にもってきて、「おいらんとしての格のたかさ」を強調するためだ。「まえむすびのほうがおびをときやすいっていう実用的な理由もあっただらあ」(永井氏)
したぎであるゆもじは、しろうとがしろやあおみどりいろをはいとったいっぽう、遊女はひいろ。あかぱんは当時から勝負したぎだっただ。
『青楼十二時丑ノ刻』喜多川歌麿1794年
深夜2時に遊女が、灯火と懐紙をてにてあらいばへむかっとるようす。おびをしっかりまえでむすんどることがわかる。
ひいろのゆもじは庶民にもひろまった。