あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

古事記と日本書紀をよむ

ふるいはなしだけど、2018年5月よっかにいった岐阜市歴史博物館に古事記日本書紀の展示があった。わがくに最古の歴史書にしたしんでほしいっていうこの博物館のおもいから、こういう展示がしてあるだね。古事記のほうは、ヤマトタケルノミコトがさいご伊吹山(いぶきやま)でちからつきるばめん、日本書紀のほうは、天皇のむすこオオウスノミコトがかってに美濃のくにの豪族のむすめと結婚しちゃって天皇のうらみをかうばめんがそれぞれ紹介されとる。

古事記

古事記って
2018.5.4 岐阜市歴史博物館 (5) 古事記って 770-550
古事記こじき
原本は712年に成立
岐阜市歴史博物館
奈良時代につくられた書物を、江戸時代にうつした本。神話や天皇家の先祖のものがたりがかかれとるだ。
(5) 古事記って

712年っていうむかしにつくられた歴史書ってのがすごいね。

うつし
2018.5.4 岐阜市歴史博物館 (6-1) 古事記のうつし 300-1260 2018.5.4 岐阜市歴史博物館 (6) 古事記のうつし 1260-1000
そのみはかしのくさなぎのたちを、そのみやずひめのもとにおきて、いぶきのやまのかみをとりにいでましき。ここにのりたまわく。このやまのかみはむなでにたたにとりてむとのりたまいて、そのやまにのぼりますときに。やまのべゐあえりにしろき。そのおおきさうしのごとくなりき。・・・
(6-1)(6) 古事記のうつし

原文は漢文。さすがにむづかしいね。よめるとこをちょこっとだけよんでみると、「くさなぎのたちをみやずひめのとこにおいて、伊吹山のかみの退治にでかけた」ってなる。

内容
2018.5.4 岐阜市歴史博物館 (7) 古事記の内容 1200-830
・・・ヤマトタケルノミコトは、くさなぎのつるぎをつまのミヤズヒメのもとにおいて伊吹山にでかけられた。「このやまのかみはすでで正面から退治せえ」っておっしゃり、やまにのぼるとおおきなしろいいのししにであわれた。「このいのししは、きっとやまのかみのつかいだらあ。いまころさんでも、かえりにころしゃあいい」っておっしゃりあいてにされんかった。しかし、ほのいのししはかみのつかいなどではなく、伊吹山のかみだった。ヤマトタケルノミコトのことばをきいたかみはたいそういかり、ひょうやあられをふらせた。ヤマトタケルノミコトはいためつけられ、すっかりよわってしまわれた。
・・・やまをおり、みやこへもどるとちゅう、「わたしのあしどりはふだんそらをかけまわるようにかるかったのに、いまはあるくこともままならず、たぎたぎしく(あしもとがとぼとぼすること)なっちゃった」っておっしゃった。ほいで、このあたりを「当芸(たぎ・・・現在の養老町のあたり)」っていうようになった。
(7) 古事記の内容

現代語にした内容がのっとる。ヤマトタケルノミコト伊吹山のかみのいかりをかって、いためつけられちゃうだ。たんなる英雄伝だったらこういうふうにはかかんよな。

ヤマトタケルノミコト
2018.5.4 岐阜市歴史博物館 (8) 古事記 - ヤマトタケルノミコト 1180-1030
ヤマトタケルノミコトがひがしにほんへの遠征からみやこへかえるとちゅうでちからつきるばめんです。
伊吹山であばれとるかみの退治に失敗したヤマトタケルノミコトは、伊吹山から現在の三重県をとおってみやこへかえらあってしております。
日本書紀」などの記録には、ヤマトタケルノミコトは九州や出雲、関東地方のあたりを征服したってされておりますけど、複数の人物の事業をひとりの天皇のむすこがおこなったはなしとしてあらわしたじゃないかってかんがえられております。
(8) 古事記 - ヤマトタケルノミコト

さいごに解説がのっとる。ヤマトタケルノミコトが各地を平定したことも、じつは複数の人物がやったじゃないかっていっとる。いや、これはあんまり賛成したくないな。

日本書紀

2018.5.4 岐阜市歴史博物館 (9) 日本書紀って 830-590
日本書紀(にほんしょき)
原本は720年に成立
岐阜市歴史博物館
奈良時代につくられた歴史書で、江戸時代のうつし。かみがみによるくにづくり、天皇によるくにの統一のはなしなどが時代順にかかれとるよ。
(9) 日本書紀って

これも720年っていうむかしにつくられた歴史書だ。古事記が712年で日本書紀が720年。

2018.5.4 岐阜市歴史博物館 (10-1) 日本書紀のうつし 235-1420 2018.5.4 岐阜市歴史博物館 (10) 日本書紀のうつし 1300-1070
(10-1)(10) 日本書紀のうつし

原文はやっぱり漢文だ。ちんぷんかんぷんっていうべきか。

2018.5.4 岐阜市歴史博物館 (11) 日本書紀の内容 550-830
このつき、天皇は美濃のくにの豪族カムホネのむすめであるエヒメとオトヒメがとてもうつくしいっておききになり、むすこのオオウスノミコト(ヤマトタケルノミコトのあに)にふたりのすがたをみにいかせられた。ところがオオウスノミコトは、ひそかにほこで結婚してしまい報告にもどらんかったで、天皇オオウスノミコトをおうらみになった。
(11) 日本書紀の内容

現代語にした内容でみてみる。う~ん、ヤマトタケルノミコトのにいさんオオウスノミコトが、天皇にいわれてみにいった姉妹とかってに結婚しちゃうだ。品行方正とか、ほんな概念は古代にはない。

2018.5.4 岐阜市歴史博物館 (12) 日本書紀 - ヤマトタケルノミコト 1110-1040
ヤマトタケルノミコトのちちである景行天皇(けいこうてんのう)が、美濃の豪族のむすめに求婚せえってするはなしです。
景行天皇は、吉備(きび)(岡山県)、近畿地方北陸地方など、ほのころおおきなちからをもっとった豪族のむすめをかずおおくつまにしておりますけど、ほのなかのひとりに、美濃の五十琴姫(いそことひめ)がおります。
景行天皇はじっさいにおった人物かわかりませんけど、このころの美濃は吉備や、近畿、北陸とおんなじようにヤマトにとってたいせつな地域だったのかもしれません。
(12) 日本書紀 - ヤマトタケルノミコト

さいごに解説。いや、これも、ヤマトタケルノミコトのちち、景行天皇の実在をうたがっとるけど、これにもあんまり賛成したくない。うたがう理由がなんなのかききたいとこだ。


(さんこう)